ブラジル研修レポート (ブラジル日本交流協会 07期研修生)

サンパウロで感じたこと・考えたこと・気がついたこと。
ブラジルでの研修。そして研修終了後の私。
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| スポンサードリンク | - | | - | - | -
ある日の日記から(4月・その1)
3月31日(月)
2コマ目の授業に出るつもりで大学へ行ったら、すでに始まっていた。別の授業の先生が急に来られなくなったということで、急遽「Rítimica」の授業を2コマ分通しでやることになったらしい。
今日の授業は、それぞれが持ち寄った曲でダンスを作ってグループで発表するというものだった。(時間内にダンスが作れず)発表でうまく踊れなかったグループがあった。それを茶化していた子たちにBiraが「仲間が発表しているんだからやめろよ」と制止。それでもいつまでも茶化していた一人にブチ切れ、本気でその子を蹴っていた。いつもはふざけて騒いでいるBiraの意外な一面を見た。

4月1日(火)
Flávia, Luiz, Boniとお昼。以前だったら、私が理解できないと簡単な話題に変えてくれていたけど、最近は違う。私がその話題の中で理解できない部分があったら、そこだけを簡単に言い換えて説明するだけ。厳しく接してくれる。話題は仕事の話が多く、弁護士の仕事は私には全然分からないけれど、できるだけ意見を言って自分も会話に参加するようにしている。
今日は、自分が言いたいことを“何となく”のポルトガル語で話したら、Fláviaがそれをちゃんと正しいポル語に訂正、あとに続いて「リピートして」。慌てて紙にメモろうとしたら「ダメ。まず話して」。厳しいーー! でもその厳しさの中に、彼女の優しさを感じた。この前の「もっとポルトガル語を話したほうがいい」と言われて私が何も言わなかった話をして、研修先で話すことが少ない分、他のところで話すようにしていることとか、自分の思っていることを伝えた。前から自分の中でモヤモヤしていたことだったので、伝えたあとは気分がすっきりした。

4月2日(水)
Forróのダンスのレッスン。レッスン中、ステップを刻んでないことをMateus(先生)に指摘される。“基本のき”ができていないということだ…。言われるまで自分では全然気づいていなかった(それどころか少し上手に踊れるようになったと思っていた!!)。「ちゃんとステップを踏んで踊らないと、相手は次にどう動いていいか分からなくて混乱するよ」。そういえば、よくペアの相手が困った顔をしていることがある。うまく踊れない原因は私の側にもあったんだ…。

4月3日(木)
朝、Polícia Federalで外国人登録証の受け取り。手続きの進捗状況は前からPolícia Federalのサイトでちょくちょく調べていたけど、いつもエラー画面が出ていた。昨日はエラーになったあとも何回かしつこくアクセスしていたら、何度目かで突然画面が変わってデータが出てきた! 2月7日に既にできあがっている…(この前ビザ延長の申請をした時、ついでに受け取れたってことだ…)。
今日は受け取りだけだったのでPolícia Federalではそれほど待つことはなかったけど、帰りのバスでなぜかどっと疲れが出てしまった。お昼すぎに商工会議所のセミナーへ。「日本にいるブラジル人労働者、ブラジルにいる外国人労働者」についてのセミナーで、面白そうな内容だったので行った。が、午前中の疲れが響いて、だんだん意識朦朧。強烈な眠気に襲われた。

4月4日(金)
「Lutas」の授業。弓道をやっていたと先週話したことをLuiz Fernando(先生)が覚えていてくれて、授業のスライドの中で、袴姿で弓をひいている弓道の写真が出てくる。そしたら、一人の学生が「Me〜do〜!」(訳したら「怖ぇ〜」かな)。その言い方があまりにヘンでおかしかった。とっさに「そうそう。あんたも殺せるよ」と冗談でかえそうと思ったけど、このポル語で合ってるかな、通じるかしらと考えているうちに、言うタイミングを失ってしまった。あとで先生が「彼女笑ってるよ。(今の)お前のジョークは理解しているんだね」と彼に。間違ってるポル語でもいいから、思い切って言えばよかったと後悔!

4月5日(土)
新しい研修生が到着。お弁当を食べたあと、一緒にオリエンテーションに参加させてもらう。研修テーマの発表では「日本にいる頃からみんな真剣に考えて練ってきているんだな」と感じた。自分が自信をなくす必要はないと分かってはいても、話を聞いているうちにいろんなことを考えてしまって、だんだん頭の中が真っ白に。座談会では「ブラジル人は一枚目の扉は簡単に開くけど、二枚目の扉を開けるのが難しい」というOBの方の言葉がすごく印象に残った。
オリエンテーションが終わったあと、研修生を囲んでみんなで食事。武藤さんと研修のことを話していて、オリエンテーションのときに感じた自分の気持ちを正直に話したら、「ブログにはいいことばかりではなく、悪いこと・マイナスなことも書かれてあった。それがよかった」と言ってもらった。私の場合は、応募前に、また今も、今後につなげるための役割を言われ、このブラジル日本交流協会の研修制度がどういうものかを外の人に伝えることも自分の研修のひとつだと思っている。ブラジルが大好きで来て、そして現在でもブラジルが好きな今の自分にできることは「ブラジルという国が持つ楽しさや素晴らしさや、研修中の体験・経験(良い悪い両方)を多くの人に伝えること」。それが少しでも伝わった気がして本当に嬉しかった。

4月6日(日)
08期研修生の歓迎パーティーに出席させてもらう。パーティーでは自分が来た頃のことを思い出した。去年の歓迎パーティーでは、二宮先生やOBの方をはじめ、他の方とどう話していいのか分からず少し緊張したっけ。そして、3年前サンパウロを旅行していた時に偶然道を聞いたイジドーロさん(今回私がこちらに来るきっかけを作ってくれた人と言ってもいいと思う)が二宮先生の古くからの知り合いだったことや、ポルトガル語を勉強していたときにブラジルの魅力を教えてくれた先生がDona Sónia(二宮先生の奥様)の教え子だったことを知って、すごく驚いたんだった。パーティーの終わり近くなって、どうしても疲れて我慢ができなくなってソファで寝てしまったなぁ…。
パーティーでは多くの人と出会うことができて、いろいろな話ができる。年上の方が多く出席しているパーティーではタメになる話も多く聞ける。パーティーでは、高梨さんに「来る前と今とでブラジルに対する見方や思いは変わった?」と質問された。「ブラジルが好きな気持ちは今もあまり変わっていない。でも、自分はブラジルを嫌いになるような体験や経験をまだしていないだけなのかもしれない」と答えたら「ムリに嫌いになるような経験をする必要はないよ。好きなら好き、それでいいじゃない」と。
終わったあと、自分が話すことばかり夢中になっていて、新しい研修生に自分のほうから声をかけて積極的に話さなかったことに気がつき反省…。

4月9日(水)
今日のForróのレッスンでは少しステップが難しくなる。次の段階に進むペースもだんだん速くなっている気がする。先生の説明もよく理解できなくて、今日は終わる直前になっても習った2つのステップができずにいた。
レッスンの最後、「今日のおさらいダンス」のときに踊れずにいたら、“例の横柄な彼”がすーっと近づいてきてペアになってくれた。すごくスピードの速い曲で、彼の勢いに合わせて踊っている(“踊らされている”のほうが近いか)うちに、できなかった2つのステップがいつの間にかできるようになっていた。踊れずにモタついていたから、それを見て助けてくれたのもしれない。終わったあと「ありがとう」を言ったら、ニコニコ笑顔。これまでのイヤーな態度がなく、とってもイイ人だった!!
レッスン初日で踊ったもう一人の人もいたので、悩んだけど声をかけて「この前は(『私の覚えていないことをするな』って言って)ごめん。友達にも『どうしてそんなことを言ったの』っておこられたよ」と話したら「気にしないで」。ちゃんと気持ちで話せばお互いに通じ合えるのは、どこの国でも同じなのだと思った。
| ycuio | 過去の日記 | 09:20 | comments(0) | - | -
ある日の日記から(3月)
3月3日(月)
今週も「Rítimica」の授業を見学。パソコンをいったん家に置いてから大学に行ったので、少し遅れて到着した。グループになっていてどこに入ればいいのか迷っていると、BiraとLuan, Michaelたちが「こっちにおいでよ」と誘ってくれた。いい子たちだなと思っていたら、彼らは授業中でも大声で騒ぐ、よく言えば“元気がいい”“賑やかな”(悪く言えば“うるさい”!?)グループだった。
途中、Luanに自分の名前を漢字で書いてと言われ、辞書を引いて、それぞれの漢字にポルトガル語の意味を付けて渡したら「俺も俺も」と次々に言われ、結局5人ぐらい考えるハメになった。よっぽど気に入ったのか、そのあとも興奮して大はしゃぎ。授業の間、大笑いしたり勝手に発言したりして大変だった(先生の声も聞こえないほど。日本だったら授業妨害だとか言われて教室を追い出されてもおかしくないだろう)。Andrea(先生)も慣れたもので、かわしたり無視したり時々注意したりして授業を進めていた。
先生の注意で思わず笑ってしまったのは「一人が話しているときは、他の人は聞くーー」。前にこの大騒ぎを“小学校低学年”と書いたけど、“幼稚園”の間違いだったかな…。

3月5日(水)
ダンスのレッスンを見に行った。今日のレッスンはForró。Forróはダンスの中でも簡単なほうと聞いていたけど、確かにその通りでリズムも分かりやすい。先生も感じのよい人で彼のポル語も聴き取りやすいし、何よりレッスンが楽しい。見学したあとこのレッスンを申し込もうとしたら、受付で怖いオネエさんに「空きがないから申し込めない」と断られてしまった。何とか粘ってみたが、無理無理無理(なぜ無理なのかも説明してくれたけど、分からなかった)。「人気のあるレッスンだったら、ずいぶん前から申し込まなきゃいけないんだよ」(=「お前はギリギリになって、まだそんな馬鹿なことを言っている」ってことか!?)みたいなことまで言われる始末。でも、ここであきらめたら負けだと思い、泣きそうな顔で「日本へ帰る前に、Forróを覚えたい。このレッスンを受けたい。お願い…」と必死さをアピール。偶然、今日教えてくれた先生が隣でそれを見ていて、「いいじゃん、受けさせてあげなよ」から始まって、彼女をなだめたりおだてたりしながら交渉してくれた。最後「90%は申し込めるから大丈夫だけどねー」と彼女に聞こえるように言いながらウインク。この先生のレッスンが受けられたら毎週きっと楽しいだろう。

3月6日(木)
研修後、昨日見学した学校に行く。受付のオネエさんは、昨日とはうってかわって優しい態度。私にもとっても好意的で、昨日のレッスンも申し込めるようになっていた。先生の力もあるけど、昨日の泣きマネが効いたのだろうか…?(でも半分本気で泣きそうだった)

3月7日(金)
研修生のLuizと一緒にランチ。「ポルトガル語を覚えるのは難しいんだね」と言われ、英語とポルトガル語の違いの話になって、Luizが自分のアメリカ留学の経験から「ポルトガル語は(英語に比べて)ルールが多い」「ポルトガル語はたとえ相手が文法的に間違って話していても、何とか理解できる。でも英語は文法的に正しくないと理解してもらえない」と話してくれた。ポル語にたくさんのルールがあるというのは、前も何人か(ブラジル人)に言われたことがある。でも、その違いについてはいまいちピンとこなかった。
今日は研修後、しばらく研修先でレポートを書いて大学へ。大学では2コマ目の授業(Lutas)に出席。今日の授業は「武道とは何ぞや」ということで、映画『ラスト・サムライ』を鑑賞。観ていてもあまり面白いと思えなくて「もしみんなの前で先生に『気に入った?』と聞かれたらどうしようー」と観ているときからドキドキしていたけど、幸い聞かれずに済んだ。最後に、先生が「これはハリウッド映画だから本物の武道じゃない。Kurosawaの映画だったらもっとよかったんだけど」というようなことを言った。ちゃんと分かってくれているんだと知り、少しホッとした(それとも、面白くなさそうにしているのを見られたのかな?)。

3月8日(土)
昨日はパソコンを研修先に置いて帰ったので、今日は研修先でレポートを書く。研修先に行く前に、駅前のlanchoneteで軽く朝食。お金を払うとき、店の主人に「値上げした?」と聞いてみた。「4月から値上げするけど、最近は値上げしてなかったよ」。レポートで書こうと思っていた、値上げについての質問をいくつかぶつけてみた。「去年1年の間に値上げはしたのか?」「値上げを決めるときには何か重要なのか?」というような内容のことを、自分が知っている単語とあとはジェスチャーを使って。どのぐらい自分の質問が通じたのかは分からない。彼の答えで理解できたのは、去年は肉の価格が上がったけど(昨年末だったか年明けだったかに)結局値が下がったので値上げはしなかったということ、値上げに最低給料(Salário Mínimo)は関係ないということ、他の店が値上げしたからといってウチはしないよ、ということ。隣の店を例に出して、ウチは隣よりもジュースの値段は安いけど、質もいいしサービスもいいというようなことを言っていた。でもそれが何を意味するのかははっきり分からなかった。“重要なのは値段のちょっとの差ではなくサービスや料理・材料の質で、お客さんもそれで集まる”、ということを言いたかったのか…な…。

3月10日(月)
お昼の時間、もっとポルトガル語を話したほうがいいと言われたけど、素直に聞くことができなかった。普段はみんなと離れた部屋で研修しているし、研修先でよく話す人も日本語が分かる人が多いから、その人たちとは日本語でコミュニケーションすることが多い(その人のことをより深く知りたいと思うから余計そうだ)。だから周りからは、ブラジルへ来てるのに全然ポル語を話していない(そして上達していない)イメージなのだろう。これまでも「ポル語を勉強しに来たのに(静かに校正しているから)全然話すチャンスがないね」とか時々言われてきた(←かわいそうというニュアンスで)。相手には全く悪気はないと分かってはいても、それでも、初めて言われたときはちょっぴり傷ついた。
集中して校正すると疲れるので、その分、研修先以外の他の場所で積極的に話せばいいと自分では割り切って考えていて、だから研修先ではそれほど頑張って話すこともしていない。やっていることが校正なのに、そんな中でどうやって会話の練習をするんだ?というのもある。それに、本当に話したいことがあるときは研修先でだって話しているし、反対に、特に話したい話題がなければ、日本にいたって日本語でだってしないと思う。だから、そのように言われて今日はちょっと抵抗を覚えた。でもまぁ、相手はこんな私の気持ちは何にも分からずに、軽く言っているんだろうなとは思う。いろいろ言いたいことはあったけど、それをいちいち長々と説明するのができず、また面倒なのもあって、今日は何も言わなかった。

3月12日(水)
夜はForróのレッスン。最初にペアになった男の人は、初心者なのに自分の踊りたいように我流で踊る(レッスンの意味がない! 自分もエラそうなことは言えないが)。リズムもめちゃくちゃで、超初心者の私はどう動いていいか分からず混乱。見かねた先生がペアを変えてくれてBolsista(奨学生)をつけてくれたが、態度も横柄なイヤな感じのするヤツで、今度はこっちのレベルも考えずに自分勝手にガンガン踊る。言葉もできないから先生の指示も分からないし、自分の言いたいことも思うように伝えられない。腹が立つのを超えてだんだん悲しくなってきた。どうしても我慢できなくなってそのBolsistaに「私がまだ習っていないことをしないで」と言ったら(多分私が泣きそうだったので)ビックリしていた。今日はレッスン後の充実感もなくグッタリ。

3月14日(金)
大学へ(Lutasの授業)。今日の授業は、グループになって「武術」「武道」について書かれた本を読み、どういう内容なのかを要約するというものだった。顔を合わせるたび前からちょくちょく話していたKenがいたので、彼のグループに入れてもらう。“武士の心”みたいな部分はちょっぴり内容が分かったけど、それも“何となく”。武道のことだし、他の授業に比べたら、日本人の私にもきっと理解しやすい内容だったはず。もっとポル語ができたら授業に参加できたのに…。
Kenは空手をやっていて日本についても理解があるので、私が分かるように内容を簡単な言葉で説明してもらい、私も自分が持っている知識で日本や武道のことを説明しながら2人で読んだ。授業が終わって、Luiz Fernando先生に「(授業は)理解するのは難しいけど、昔弓道をやっていて武道については少し分かるので楽しい」と伝えたら喜んでくれた。バス停に向かう途中、前に少し話した子たち(名前はまだ分からない。多分同じsemestreの学生だろう)に近くのBarに行こうと誘われ、赤ワインを少し分けてもらって一緒に飲んだ。

3月16日(日)
夜は一人でMaria Ritaのショーへ。前はSanta Cruz駅からバスで行ったけど、今日は県人会近くのバス停から。バス停もホールに近い場所にあり、1本で行けて便利だった。有名どころだしとりあえず押さえておこう、ぐらいの軽い気持ちだったが、とんでもなかった。観ている人の感情を揺さぶるほどのスゴイ歌手って本当にいるんだなぁと。歌のうまさだけでなく表現力も強烈で、それに圧倒されたということかな…。

3月17日(月)
今日もまた雨。月曜なのに、朝起きたときからすでにダルく、疲れが取れていない。夜、履修登録と支払いをしに大学へ行ったら、前学期の授業料を支払っていないと言われる。前学期のときに大学側から言われた授業料は、学期全体ではなく月額のものだったらしく、勘違いして理解していた。会計の女性は、ちょうど仕事を終わろうとしていたときに私が来て、しかもうまく言葉が通じないので不機嫌だった。「滞納」みたいな言われ方をしたので「違う、毎月払うって知らなかっただけだ。何のインフォメーションをもらわなかった」と反論。前学期分の授業料を払うほど持ち合わせがなく、結局今日は履修登録できなかった。

3月18日(火)
研修のあとMemorial da América Latina(João Boscoの無料ライブ)へ。チケットは売り切れだったけど、何とかなるような気がして、開演までネバって待つことにした。開演の9時までにはまだ2時間近くもある。昨日からのダルさも続いていて「つらいな〜」と思っていたら、ホールの中にあるlanchoneteを経営しているおじさん(サンパウロ大学でもlanchoneteを経営しているらしい)や、パッチモンの香水を売っているセールスおばちゃん(“いかにも偽物”をCHANELと言って売っていた!)と話しているうちに、あっという間に時間が過ぎた。開場の間際、列らしいものができ始めたので、すかさずそこに並んでチケットをゲット。前から5列目中央のいい席だったけど、あまりにあっさり手に入って気が抜けた。
ショーでは「この曲やって」と好き勝手に言う人がいて、João Boscoもやりづらそう。自分の持ってきたLPをショーの間掲げて彼にアピールする、イタイ若者も…(←ジャマだったら!!)。João Boscoのshowは前にも観に行ったことがあるけど、無料だとこんなに雰囲気も変わるんだ…。自分の好きなように楽しく自由に観られるのがブラジルのライブのいいところだと思っていたけど、今日はそのようには思えなかった。後ろの席の貧乏ゆすりも気になって集中できず。体調もそれほどよくなかったのも楽しめなかった理由だと思う。帰りは、ピアノの先生をやっている日系人のおばさん、ミュージシャンの黒人のおじさんと一緒にMetrôで帰ってきた。降りるとき2人の名刺をもらった。

3月20日(木)
体もだるくて熱っぽく、お昼ごはんの後が一番ひどかった。今日は一日具合が悪い。
研修後、履修登録をしに大学へ。登録・授業料の支払いをして、ビザのための書類を用意してくれるのを待つ間、前に教務課のWalterが日本語のパソコンはどうなっているのか知りたがっていたことを思い出し、時間つぶしにWalterとMonicaに説明。そのあとで、自分の名前を日本語で書いてと言われ、「ヴァウテル」「モニカ」とカタカナで(←漢字をあてるのが難しかったので)書いたら大喜び。自分の恋人や家族のも書いてほしい、Eu te amoは日本語でどう言うんだ、と質問攻め。ちょっとした日本語教室になった。

3月21日(金)
風邪が治らず、せっかくの休日だったけど今日は一日中部屋で休む。久しぶりに料理をしようと思ったら、途中でガスが切れる。料理はあきらめて洗濯をしようとしたら、洗濯機も壊れていた。なんてツイてない…。しかし、こんなんで、来月から家賃を30レアルも上げるなんて!!

3月24日(月)
ビザ代を払うために、午後Banco do Brasilへ。研修先の近くの銀行では支払いができないらしく、別の支店に行くよう言われる。住所が近くにあるAvenidaの名前だったので、すぐ近くかと思って歩いて行ったら、かなり遠い場所にあった。窓口にいたのは不機嫌で愛想の悪い(むしろケンカごしの)おじさん。振込用紙をプリントアウトできなかったと事情を話して、前は銀行でプリントアウトしてくれたよと話しても、「ウチでは用意しない、やらない。LAN HOUSEへ行け。また来い」の一点張り。彼の見ていない場所に座っていた別の人にダメモトで頼んでみたら、あっさり用紙をプリントアウトしてくれた。
夜は「Rítimica」の授業を聴講。教務課へ寄っていたら教室に着くのが遅れたので、引き続き2コマ目の授業(同じ科目)にも出席。帰りはIzacともう一人の子(名前を聞くのを忘れた)と3人でMetrôで帰った。ほとんどの学生は大学からすぐ近くのところに住んでいて、私がLiberdadeに住んでいると話すと「遠いね、大変だね」と言われるので、てっきり自分は遠くから通っていると思っていた。けど、2人とも大学から家までは2時間近くかかるらしい。私の場合は、研修先から大学までは1時間半弱だけど、帰りは(大学から家までだから)もっと近いし、夜のバスは道も混んでないので早く着ける。しかも私の授業はたった週2日。彼らは毎日通っているわけだ。一人の子は大学から駅までバスに乗ったあと、さらにMetrô→バス→バスと乗り継いで通っている。でも、自分は奨学金をもらっているから遠いのは仕方ないと……。贅沢は言っちゃいけないなと思った。

3月25日(火)
朝いったん研修先へ行ったあと、ビザ延長の申請をするため、Metrôとバスで連邦警察へ。入口近くで、前にUSPのポルトガル語のクラスで一緒だった、コチアのお寺にいるお坊さん(台湾人)に偶然会って少し話をした。当時、クラスでアジア系の生徒はそのお坊さん2人と私の3人で、あとはスペイン語圏の学生。スペイン語圏の学生は先生の説明も問題なく理解できてポルトニョールでじゃんじゃん質問する。全く分かっていないのは私たちだけで、先生の説明が終わると3人でよくポケーとなっていた。外国人の友達もたくさんできて楽しそうだったけど、先生の言っていることが全然分からなかったのと文法の授業ばかりだったのがイヤで、私は2回通っただけで他の学校に変えてしまった。けど、彼女たちは通ったそうだ。
ビザの書類は、窓口がそれほど混雑していなかったので、すぐ受け付けてもらえたけど、申請が認められるまでに少し時間がかかった(1時間以上待ったはず)。「90日後にビザがオフィシャルになる」とのこと。帰りはPinheiros行きのバスに乗って研修先までは1本。昨日行った銀行近くで降り、お昼を食べてから帰った(ポルキロだったけど、特にボロネーゼのスパゲティとエストロガノッフィがおいしかった!)。

3月28日(金)
2コマ目のLutasに出席。今日は体育館で実践の授業。人なつっこそうな男の子が私に話しかけようと近づいてきた。日本語しゃべるのかな(←これまでそうやって近づいてくるのは、だいたい日本語を少し知っている学生)と思いきや、手を合わせてお辞儀して「ハイッ」。なに、そのヘンな挨拶!?
今日は、Lutasの理論を使った子供向けの遊びをみんなでする、実践の授業。前学期と同じで、やっぱりルールの説明や先生の指示は何を言われているか理解できない。最初はしばらくみんなの様子を見て、あとで参加するつもりで脇のほうへ寄ったら、(言葉が分からないから)参加したくないとみんなが勘違いして、いろんな学生が寄ってきてルールの説明をしてくれた。単なる子供の遊びのゲームなのに、みんな真剣勝負。私も気がつくと、猛ダッシュで追いかけていた。この時間のクラスは普段よく見かける学生はあまりいなくて、はじめて顔を合わせた人も多かった。

3月30日(日)
11時から報告会。報告会の前にレポートをプリントアウトする。日曜はほとんどのLAN HOUSEが閉まっている。日曜も開いていて前にも使ったことがあるLAN HOUSEへ。万が一その店が休みだったときのために、他のLAN HOUSEに行く時間を計算して早めに家を出た。でも、心あたりの3つの店すべてが閉まっていた…。ものすごく焦ってBela Vista, Liberdadeと探し回ったけど他に店がなく、結局時間がなくなり、プリントアウトをあきらめて事務所(交流協会)に向かった。どうしよう…。Av. Paulista沿いのBancaで、どこかコピーが取れる店がないかを聞いたら、向かいのBancaでできるとのこと。コピーが終わり、事務所まではすぐ近くだったけど、これまで出したことのないスピードで走った。事務所へ着いたら汗ダクで恥ずかしかった。
| ycuio | 過去の日記 | 01:04 | comments(2) | - | -
ある日の日記から(1月・2月)
1月30日(水)
カーニバル休暇をどう過ごすか直前まで決められず、気がついた頃にはサンバパレードのチケットは残りわずか。
「せっかくの機会なので、カーニバルのパレードを見るのもいい。けど、それほどサンバは好きじゃない。それに別に今年慌てて見なくても、ブラジルへはまた旅行で来るだろうし、そのときにじっくり見ればいいや」。「それより比較的長い休みなので、ゆっくり旅行しよう」。でもどこへ行くか、なかなか決められない。この2週間はそんなのの繰り返しだった。カーニバルがあさってに近づき、焦りのような、カーニバルを観ておけばよかったという後悔のような、でもそれでいて妙に落ち着いているような、なんだか変な気分になった。

1月31日(木)
夜Renataから電話があり、映画のタダ券があるので一緒にどうと誘われ、少し疲れていたけど行くことに。観たのは“Meu nome não é Jonny”という映画。みんなが笑う場面でも笑えなかったし、重要となる裁判のシーンでも???。主人公は実在の人物で、映画の最後にのちの彼の様子が字幕で説明されていたのだけど、これも全く???だった(あとでRenataと友達が噛み砕いて説明してくれたけど、それでも理解できず…)。まぁある程度のストーリは映像で追えたので、何とか楽しむことができた。今の自分のレベルでは、理解できないのはある意味仕方のないことだと思うけど、それでも分からない部分があるのは――それもその部分がほとんどだと――やっぱり悔しい。

2月2日(土)
夜7時半のバスでIlhabelaへ。Ilhabelaへは2回目だけど、バスで行くのは初めて。カーニバル中ということで座席の混み具合が心配だったので、お昼にバスターミナルへ行っていったん席を予約する。満席だった夜10時発の便を除いて、どれも席はがらがらだった。
バスはSão Sebastiãoにある桟橋手前の停留所までで、あとは船に乗ってIlhabelaに渡る。桟橋に着いて、先に来ていた友達の車の迎えを待った。Paulinho, パトリシアとは8ヶ月ぶりに再会。妹のBeteとは、ブラジルに来て最初の頃に一回会ったきりだったから7ヶ月ぶりぐらいかな。会ってすぐ、2年前に食べたBarでespetinhoを買ってPaulinhoと食べた。Espetinhoは、2年前のときよりもおいしくなっていた。

2月3日(日)
天気予報通り、雨が降り始める。今日はBeteに料理を教わった。Beteは日本語が分からないので、私もポル語のいい勉強になるということで、意識して彼女とできるだけたくさん話すようにした(時間があるからなのか、旅行しているときが一番言葉が身につくような気がする)。彼女が分かりやすく話してくれること、視覚的にも理解しやすい「料理」のシチュエーションだったこともあって、来て8ヶ月経ってだんだん聴き取りがラクになってきていると感じた。

2月4日(月)
Paulinhoがライムとカシャッサを買ってきてくれ、カイピリーニャを作って飲む。久しぶりでおいしかった。そういえば、ブラジルへ来てからはビールばかりで、カイピリーニャってあまり飲んでいなかった。今回は飲みすぎても帰りを気にしなくていいから気が楽だ。夜はみんなでカーニバルを観に行く。近くで聴くbateriaの演奏はすごく迫力があった。

2月5日(火)
朝、桟橋近くのバスチケット売り場まで行き、帰りのバスを予約。夕方になって帰る直前に、誕生日のサプライズ!! Paulinho、Bete、パトリシア、さをりさん、栄美ちゃん全員がお祝いをしてくれた。今日街へ出たときPaulinhoが突然消えたのだけれど、あれはケーキを買いに行っていて、あのときBeteが怒っていたのも全て演技だったのだという(全然気がつかず、すっかり彼らの演技にひっかかっていた…)。ケーキを食べたあとで「今日もう一日泊まっていきなよ」と言われ、そのみんなの気持ちがとてもうれしく、予定を変更して明日の朝のバスで帰ることにした。
バスの時間を変更しにPaulinho, Bete, パトリシアとチケット売り場まで行ったが、チケットの変更は乗車の3時間前まで(←チケットには確かにそのように書かれていた)で、「あとは自分で交渉して売って」と言われてしまう。みんなは「チケット代は私たちがプレゼントするから、それで買いなおせばいいよ」と言ってくれたけど、せっかく買って(しかもまだ使えるチケットなのに)みすみす無駄にするなんてもったいない。ブラジルに来てモノを売るなんて思ってもみなかったけど、めったにできない経験。とにかくやってみることに。
パトリシアと船でSão Sebastiãoまで渡り、かなり先のバスターミナルまで2人で歩く(心配して後からPaulinhoも車で来てくれた)。だいたいの人はチケットが2枚必要だったため、私のチケットはなかなか売れなかった。出発直前になってあきらめかけたとき一人の人が声をかけてくれ、チケットを売ることができた(本当によかった!!) そのあとGuilherme(チケットを買ってくれた人は彼の友達)が私たちに話しかけてきて、少し話をした。Guilhermeは環境にやさしい建物を設計する仕事をしていて、いつか日本に旅行して日本の建築物を見てまわるのが夢だという。そのために日本の情報がほしいようだった。São Sebastiãoの家にはいつでも遊びに来ていいからと、連絡先を教えてくれた。

2月6日(水)
朝4時起床。Paulinhoに車で桟橋まで送ってもらい、5時半São Sebastião発のバスで帰る。途中、渋滞にハマることもなく、予定通りすんなりTietêに着いた。研修までまだ時間があったので(今日はお昼12時からだった)、部屋で少し寝てから研修先へ。
研修後、研修先に少し遅くまでいて帰ろうとしたら、Luizが「これから大学の同級生と飲むけど、一緒に来る?」と声をかけてくれた。バスで近くまで行って、そこから歩いてSanta Cecília近くのBarへ。後ろに座っていた人が声をかけてきて誰かと思ったら、この前の雨のとき挨拶仲間(?)になった、あの彼でビックリ。彼もマッケンジー大学の学生だった。
Luizの同級生は感じのいい人ばかり。でも大勢いすぎて誰と話していいか分からなくて、Luizとずっと話していた。帰り、お勘定になって、幹事の女の子がやや混乱。途中で帰った人達の支払いがどうも少なかったみたい。日本では、中座する人が少し余分にお金を置いていくことが多いけど、まるで逆だ!(でも「やっぱりな」という感じ)。
最後、トイレでゲロを踏む(今年は本当にツイている!)までは、本当に楽しい飲み会だった。

2月7日(木)
研修先にあった新聞の記事で、明日の夜チャンピオンパレードがあることを知る。Vila Mariaも出場するらしい。チャンピオンパレードの存在自体知らなかった(まさかカーニバル明けにもサンバパレードがあるなんて思わなかった)ので、これはうれしいニュース。サンバを観るのはまた今度旅行で来たときでいいやと思っていたけど、でも日本移民百周年をテーマにしたエスコーラは今しか観られないんだなぁ(当たり前だけど)と考えたら、自分の中でやっぱり行っておきたいという結論に達した。
「チャンピオンパレードはカーニバルのときほどの迫力はないけど、混雑していないし、いいエスコーラだけが出るからいいと思うよ」とFlávia。Gleiceに話したら「もし明日チケットを買うなら、一緒にPacaembúスタジアムまでついて行ってあげるよ」と言ってくれた。

2月8日(金)
今日のチャンピオンパレードのチケットを買いに、お昼ごはんの時間を利用してGleiceと一緒にPacaembúスタジアムへ。友達の分も含めて3枚購入。
夜はみんなでビールを飲みながらTietêの駅から無料バスに乗って会場へ向かった。バスの中はテンション最高潮!の興奮状態のブラジレイロばかりで、鼓膜がビリビリ震えるほどうるさかった! しばらく観ていて深夜2時ごろ、友達が「疲れたから私たちは帰るけど、どうする?」。まだVila Mariaも、優勝エスコーラのVai-Vaiもやっていない。瞬間的に「この2つを観ずには絶対に帰れない!」と思ったので、私だけ一人で残ることにした(一人だったら、最後まで観て大勢の人に紛れて朝帰ったほうが安全そう)。
素人目で見ても、優勝・準優勝と、3位との差はやはり大きかった。山車の出来のほか、(山車・衣装など)全体的な色の統一感というかバランスが、上位2エスコーラはずば抜けていたように思う。サンバのことはよく分からないけど、やっぱり資金のあるエスコーラ、金を集められるエスコーラが有利なんだろうか…。準優勝のMocidade Alegreと優勝 のVai-Vaiは僅差だったという通り、それほど差はないように感じたけど、エンヘード(テーマ曲)ではVai-Vaiが勝っているという気がした。
帰りは、無料バス乗り場への道を間違え、私の道の聞き方もマズく、行きの道とは全く違う側へ出てしまう。下手に戻って行ったり来たりして迷うほうが危険と判断して、そのまま駅まで歩いて帰ることにした。前を歩いている人とできるだけ距離が離れてしまわないように気をつけながら。1時間近く歩いたと思う。家に着いたときにはもうクタクタで、そのまま洋服で寝てしまった。でもサンパウロのカーニバルを体験することができて満足。

2月10日(日)
仕事と旅行でブラジルに来ている友達と、サッカーの試合を観に行く。まずは、バスでPiracicavaへ。バスの中では久しぶりに、共通の友達のこと、ブラジルのこと、研修のこと(友達は元研修生)、いろんな話をして楽しかった。ターミナルには彼の友達のCostaさんが車で迎えに来てくれていた。街を簡単に案内してもらったあと、彼の会社(インテリア雑誌に出てくるようなオシャレなデザインだった)を見せてもらった。ランチは、奥さん、息子さん2人も加わって川沿いのレストランで魚料理。魚は川魚なのに臭みが全くなく、油もあまり使ってなくて、あっさりしていてとてもおいしかった。食べているとき、友達が「この街は白人ばかりで、ちょっと気持ち悪い」と言ったけど、私は言われるまで全然気づかなかった。普段いる(いた)環境や周りの環境、自分の行動範囲や経験の度合いによって、ブラジルの見方もこれだけ差が出るんだなと思った。
昼食後はCostaさんの車でCampinasにあるスタジアムへ向かう。Costaさんは“気づかいの人”で、私がポルトガル語を理解できない顔をしていると、時々日本語を加えて説明してくれた。Ponte Pretaはいかにも「地元に愛されているチーム」という感じで、スタジアムもアットホームな雰囲気。子供からおじいちゃん・おばあちゃんまで、中には家族みんなで来ている人たちもいた。スタジアムでは汚い言葉もいっぱい飛び交い、アイスキャンディーを投げて渡す売り子のおっちゃんに、そのお金をくしゃくしゃに丸めておっちゃんにぶつけるお客、柵近くのものすごく小っちゃいスペースのコンクリの上に立ってラジオ片手に(ハンディカメラをとる状態で持っていたのが笑えた)観戦しているおじいちゃん。ちょっとしたことがいちいち面白かった。ショップでPonte PretaのTシャツをCostaさんにプレゼントしてもらい、私も今日からPonte Pretaファン。ブラジルでのサッカー観戦は今日が初だったけど、初めて観たのがこのチームの試合でよかった。

これがそのおじいちゃんです。


アツイおじいちゃん。日本のプロ野球の応援団を思い出しました。


2月11日(月)
研修後、新学期の時間割を確認しに大学へ。途中で、前に聴講していたクラスの学生何人かに会って少し話をした。来週18日が卒業式と聞かされ、そのとき初めて彼らが卒業してしまうことを知ってちょっとショック。この新学期もまた彼らがいるクラスで授業を受けようと思っていたから…。せっかく仲良くなったのに残念…。一緒に勉強する機会は少なかったけど、私も来週の卒業式に参加して、せめて「おめでとう」だけでもみんなに言いたいと思った。

2月12日(火)
久しぶりにポルトガル語のレッスン。この連休とカーニバル休暇ですっかり抜けていた。これまで何を習ったのか、思い出すのにも少し時間がかかった。やっぱり学んだことはすぐ会話で使わないと忘れる。

2月16日(土)
前回の報告会のあとからこれまで研修テーマのことでずっと悩んでいる。やはり自分の設定したテーマでは、そのための時間を作るのが難しいことが分かった。要は自分の時間の作り方次第ではあるとも思うのだけれど…。
これまでも「ただ何となくブラジルで時を過ごしている」というわけではなかったし、悩むことがあってもその時真剣に考えて、自分がベストだと思う選択をしてきた。だから「私、何のためにブラジルにいるの」とまで思いつめることはない。でも最近は、何が自分にとってベストなことなのかが自分でもよく分からなくなり混乱している。今日は一日、そのことについて考えていた。

2月18日(月)
大学の卒業式に出席。入口近くで見ていると、隣にLuiz Fernando先生が。しばらく2人で話していたら、Rodrigoや他の学生が私たちに気づいて「(椅子があいているから)こっちにおいでよ」。卒業するみんなと同じ席に座らせてもらい、仲間と認めてもらえたような気がして、それが本当にうれしかった。授業に慣れてからはなるべく多くの学生に声をかけて話すようにしていて、一緒にいる機会は少なかったけど、それもよかったと思う。
式の後、Rodrigoのお父さんや親戚も加わって、RodrigoやHamilton, Raquel, Robsonと一緒に大学隣のBarへ。ビールを飲んでみんなで話をした。Rodrigo は家族に、前に一緒に帰ったときの話(Metrôの中で「電車の中では荷物の位置に気をつけろ」と私に注意して、そのあと「日本では、財布を電車の中に忘れてもお金が入ったまま警察に届く」と私が話してビックリしたんだとか、そういう話)をして、しばらく盛り上がった。Rodrigoとは授業の後に飲んだり一緒に帰ったりする中で、気が合ってよく話をした。彼がそういうちょっとした出来事を覚えてくれていたことがうれしかった(私はすっかり忘れていたのに!)。Robsonは「コリンチャンスのファンになるのかサンパウロのファンになるのか、あれから決めたか?」と聞いてきた。まだ覚えていたのか! 「私はもうPonte Pretaのファンになったんだよ」と話すと、「まぁいいや。Ponte Pretaはコリンチャンスみたいなもんだから」とワケのわからないことを言った。
終電を気にしていたら、Rodrigoが「お前は友達だ。おじさんの車で家まで送る。おじさんは警察官だから心配するな」と言ってくれた。まずHamiltonを先に送って(Hamiltonは日伯友好病院近くの警察官の宿舎に住んでいた)、あとは通り過ぎる建物のガイドをしてもらいながら(警察の建物がやたら多かったけど…)ちょっとしたドライブのように帰ってきた。みんなに「おめでとう」を言うことができて、みんなの卒業を祝うことができて、今日は本当に素晴らしい日だった。

2月20日(水)
先週から咳が止まらず、午後、援協へ診察を受けに行く。アレルギーの薬を処方され、薬を全部飲み終えたら一度アレルギーの検査をちゃんとしたほうがいいと言われた。
夜は「Rítimica」の授業を見学するため、大学へ。子供の発達の話をしているみたいだけれど、難しすぎて理解はほぼゼロに近い。いつリズムの話に切り替わるんだろうとずっと待っていたけど結局、最後までその話だった。あとで確認したら、私が聞いていた講義は「子供の成長と発達」(←道理で理解できないはずだ…)。授業のスケジュールが変更になっていて、でも私の渡された時間割は変更前の古いものだったらしい。
授業の後、教務課へ寄って学生割引証の作り方を聞いた(去年から何度質問していることだろう…)。でも今回は説明が少し理解できるようになっていた! ひょっとしたら今年はちゃんと作れるかもしれない。

2月21日(木)
学生割引証を作りにSPTransへ行く。前に行ったSéのSPTransへ行ったら、学生割引証を申請するところは別の場所にあると言われ、そちらに行く。申請は簡単で、手続きはあっさり終わった。去年あれだけできなかったのがウソみたいだ。列に並んでいた人は若い人からお年寄りまでいろんな年齢の人がいた。学生はお金がないということで優遇されるのも分かる、けど、それよりももっとMetrôやバスを半額にする必要のある人が他にいるんじゃないかなとも感じた。
帰りにファストフードの店に寄ってレジの列に並んでいると、私の順番になって突然、若い(生意気そうな)にいちゃんが前に割り込んできた。あまりに唐突だったので、そのときは何も言えずにいたが、シレーッとその態度があまりに厚かましかったので、あとで「列にいなかったよね!」(ブラジル人は批判や非難を好まないと前に何かの本で読んだので一瞬言おうか躊躇はしたのだけど)。「並んでたんだけど、電話がかかってきたからナントカカントカ…」(←聴き取れたのはそこまで)。言い訳している態度まで図々しかったので、しばらくムカついていたけど、私と彼のオーダーしたものが同時に出てきて、見たら2人とも同じ物。それが何かおかしかったので許す!

2月22日(金)
午後、山内会長と運営委員の仁尾さんと大学へ。その席で、UniRadialという大学に吸収統合されたという説明を受ける。いったん研修先へ戻ってから、夜また大学へ。今日は、Luiz Fernando先生の「Lutas」の授業に出る。教室に着いたら、先生のほかに今日はUniRadialの担当者もいた。どうやらUniRadialの担当者が学生たちに事情説明をした様子。みんな騒いで少し混乱していた。席を立ってみんなの前で自分の意見を演説(?)しているような学生もいた(←「お前が教師かっ!」とツッコみたくなった)。みんなが何を言っているのか聴き取ろうと集中したけど、みんな早口すぎて全く分からなかった。
そのあとCacau(先生)も来て、月曜の2コマ目の授業をどうするか決めましょうということになった。カポエラにするか、それ以外の授業にするか(多分Cacauはカポエラの授業だったら僕がするというようなことを言っていたと思う)。「私はカポエラはいやー」「僕はカポエラがいいー」。多数決なはずなのに、みんな勝手に騒ぎ出し、なかなか静かにならなかった。何でみんなこうも好き勝手に話すんだろう。自由すぎ(ブラジルで戦争がないのは、絶対みんながまとまらないからだと思うーー!!) 今日いきなり事情を知らされ、今後大学がどうなるか分からないと思ったのか、たくさんの学生が不安そうな顔をしていた。

2月25日(月)
「Rítimica」の授業を聴講。今日も理論の授業でほとんど理解できなかったけど、内容は楽しそう。
授業では、先生の話したことで自分が聴き取れた単語を書き出していって、その後すぐ辞書を引いて軽く意味を確認。これではもちろん授業の全体はつかめないし時間がかかる。しかも、先生の話はどんどん進んでいくので置いていかれる。でも、その授業に出てくる基礎的な単語が分かってくればのちの理解がより簡単になると思うし、授業は全然分からなかったとしても、少なくとも自分のポル語の勉強(特にボキャブラリー)にはなるだろうと信じてやった。どの科目を履修するかは、理論だけでなく実践の授業を受けてみてから決めたいので、早く実践の授業をやってくれればいいのだけれど。

2月28日(木)
今日も大学へ。「Cultura Esportiva」の授業を聴講するつもりで行って、またまた違う授業を聞いていた。今回は途中「何か変だぞ」という違和感があってイヤーな予感はしていたのだけれど、やっぱり…。今日は授業の前に教務課でも確認したし、教室でも隣に座っていた学生に確認した。まぁ教務課で違う教室をアテンドされたのは仕方ないとしても、授業を受けている学生自身が何の授業をやっているか分からないなんて?????(←彼は「そうだよ。今は『Cultura Esportiva』の授業だよ」と確かに答えた!!)
ラッキーなことに2コマ目にも同じ授業があったので、それに出席。この授業も今日は理論だったので難しかったけど、前学期に受けていた授業とほとんど同じでスポーツのルールなどの説明だったので、他の授業よりも内容は理解しやすかった。
| ycuio | 過去の日記 | 08:21 | comments(0) | - | -
ある日の日記から(1月・その2 【旅行編】)
1月下旬の3連休を利用し、日本から旅行で来ている友達3人とリオへ行きました。

1月25日(金)
今日もサンパウロは雨で寒い。“バスに乗っている間にだんだん晴れていってリオでは晴天!”を期待したが、結局、雨のままリオに着いてしまった。この日のリオはサンパウロ並みにすごく寒く、半袖しか持ってこなかったことを後悔。ホテルに着いた頃はすでに暗くなりかけていたので、今日はホテル近くのCDショップとスーパーに行くだけにした。ライブは明日にまわす。夜は毛布をかけて寝た。

ホテルの部屋から。

※あとでリオに住んでいる人に聞いたら、リオではこういう日はめったにないとのこと。「あの週だけ特別」だったそうです。……。

1月26日(土)
近くのlanchoneteでお昼を食べながら、ライブ情報をチェック。カーニバル前で多くの観光客が集まるからか、ライブ数もものすごく多い。
どうしても行きたいLulu Santosのライブがあって、そのために今回はリオに来た。往復のタクシーを手配して一人でライブに行くつもりだったけど、慣れない場所だし、リオは特に治安が悪い。そのライブはあきらめて、みんなと他のライブへ一緒に行くほうがいいかなと考えていたら、3人が「みんなで一緒に行こう」と言ってくれて行くことができた。出口の付近にいたのであまりよく見えなかったけど、念願のライブに行けただけで満足。でもこれは友達がいなかったら叶わなかったこと。3人に感謝。

会場のPíer Mauá。携帯会社のOiのイベントNOITES CARIOCAS、この日は最終日のライブでした。






1月27日(日)
朝早く起きてヒッピー市へ。友達が欲しがっていたコースターを探しに行く。友達は「時間があったらでいいから、無理して探さないで」と言ってくれたけど、いつもお世話になっている友達で、どうしても買って帰りたかった。Feiraを一周半しても見つからなかったので、半分あきらめモードで、その前に最後、お店を出している人に聞いてみることに。コースターという単語が分からなかったので、コースターを売っているお店の人に「これ、ポルトガル語でなんて言うの?」と聞いてから、あとは身振り手振り。したら、売っている場所が簡単に分かった。ブラジルでは、やっぱり“困ったときは人に聞け!”なんだな。
帰りのバスは後ろの席で揺れがひどく酔ってしまい、乗っている間ずっと寝ていた。サンパウロには10時ごろ到着。
| ycuio | 過去の日記 | 00:54 | comments(0) | - | -
ある日の日記から(1月・その1)
1月4日(金)
ホットドッグ屋のo seu Luizのところでお昼。「僕は兄弟がいなくて、一人っ子なんだよ」という話になって「ブラジルでは兄弟多いのに(珍しいね)」と言ったら「そう。家族が少ないから少しさびしいんだ」。でもよく聞いたら、2度目の結婚で、それぞれに子供もいることが分かる。そっかー、こういうことでも家族は増えるんだ!!! なんだー。「(兄弟いなくても)家族はいっぱいいるね、さびしくないね!」と言ったら、ハハハと笑っていた。
ブラジルではこういうふとした拍子に意外な発見をすることがある。それが楽しいし好きだ。もっと面白い発見ができるように、もっといろんな人といろんな話ができるようになりたい。

1月11日(金)
今年の抱負をあれこれ考えてみた。「もう少し、好き嫌いをはっきり」。決して自分の意見を持っていないというわけではないし、自分の気持ちを抑えて無理しているわけでもないのだけれど、普段、人に譲ってしまうことが多い。これまで特に何も問題はなかったけど、ブラジルで生活するようになって、自分の中に物足りなさを感じるようになったというか…、やりたいこと・やりたくないこと、好きなこと・嫌いなこと、もう少しはっきり意思表示したいと思うようになった。必要以上に気を遣わずに意思表示する。これを念頭に置きながら過ごしたい。

1月12日(土)
夜は一人でCésar Camargo Mariano & Leny Andradeライブへ。Barra Fundaでバスを待っている時、会場までの行き方を尋ねてきたLudと友達になる。「バスに乗るのはまだ慣れなくて…」と話したら、「私も」。彼女はゴイアニア出身で、USPで文学を勉強するためにサンパウロへ来ている。サンパウロは治安が悪いので、夜一人でライブに行っても帰りが怖いそうだ。私も同じ。「じゃあ、帰りも一緒に帰ろう」ということになった。私の席は指定席だったけど、彼女の席は自由席。ライブが始まるまで彼女の横の席に座って話していたら、隣に座っていたBethが話しかけてきた。Bethはポルトガル語の先生で、外国人にポル語を教えている。生徒には日本人の駐在の方もいるそうで、教師歴20年のベテラン。「こちらで学ぼうとする外国人はやる気があるから、教えるのが楽しいのよ」と言っていた。3人で話し始めたらだんだん楽しくなってしまい、このまま自由席で観ることにした。
もちろんライブ自体も良かったけど、今日はこの出会いが一番うれしかった。

1月13日(日)
急に行けなくなった友達にチケットを譲ってもらって、夜はBeth Carvalhoのライブへ。ショーが始まり、すごい拍手の渦と音楽の迫力(そして彼女の貫禄)に圧倒。周りのミュージシャンが楽しそうに演奏している姿を見て、「ブラジル音楽に最初に惹かれたのはコレだったんだなぁ」と。昨日の楽しかった出来事も思い出し「あぁやっぱり私はこの国が本当に好きだなぁ〜」と思ったら、ジーンときて少し涙が出てしまった。

1月14日(月)
BoniとDoutora Tatiana, Doutora Isabelとランチ。魚のフライがおいしかった(久しぶりに魚食べた!)。ジュースやお菓子など、日本の食べ物の話で盛り上がる。3人とも研修生として日本に行った経験があり、お茶やお菓子は私よりもずっと詳しい。「日本(の食べ物)で何が一番サウダーヂか?」と聞かれたが、ぱっと出てこなかった。さんざん迷って「タイ料理」と答えた(ブラジルには、安いタイ料理屋がない)。
この質問は最近よくされるけど、いつも答えにつまる。すぐに浮かばないのはなぜなのか。日本食は食べようと思えば食材もLiberdadeで買えるし、レストランでも普通に食べることができるからなのかもしれない。さっきの答え、Boniはラーメンと鶏のカラアゲに揚げ出し豆腐、Tatianaはおしるこ、Isabelは「雪見だいふく」と伊藤園の「金の烏龍茶」だそうだ。

1月15日(火)
夜、家でテレビのクイズ番組を見ていて面白い光景に出合った。問題を読み上げるときに、いきなりムセる司会者。そんなの見たことない。

1月16日(水)
朝、Sumaréの駅を出てすぐ「あのとき雨降った?」と声をかけてきた人がいて、誰かと思ったら、昨日の帰りに、駅の近くですれちがった男の子だった。今にも雨が降りだしそうだったので、すごい勢いで駅まで走っていて、同じように彼も反対側から走ってきていて、すれちがうときに「もうすぐ雨降るねー」と笑いながら。それだけ。でも、たったそれだけのことが、知り合いになって話ができるきっかけを作ってくれた。この国のそういうところが大好きだ。

1月18日(金)
朝Metrôの改札の前に貼り紙。知らない単語が多くて何が書いてあるのか分からなかったが、どうやら片側の線路しか動いていないみたい。Metrôには乗るのをやめて今日はバスで行こうかとも思ったが、とりあえずプラットホームまで入ってどうなっているか様子を見ることにした。確かに、一つの線路しか動いていない。そこへちょうどJabaquara方面の地下鉄が来た。電車の中はすでに満員だったけど、少しすき間があったので、私だけはそこに強引に入って乗った。あとは問題なく、研修先には5分ほど遅れたぐらいで着いた。駅ではみんなのんびり、電車が来ても誰も乗ろうとせず、状況がよくなるのをゆっくり待っていたのに、「なるべく早く着かなくっちゃ」と思って急いで乗ったあたりはつくづく“日本人”だと思う。
しかし、少々のトラブルにもそんなにアタフタしなくなったということは、ブラジル生活にも慣れたということか。

1月21日(月)
夜は友達と夕食。彼女は元研修生で、研修テーマも含めて研修生の頃の話をしてもらい(当時の写真も見せてもらった)、参考になる話もたくさん聞けた。自分自身のことなのだから、みんなには頼らず迷惑かけず、これまでなるべく自分ひとりの力で解決しようとしていたけど、誰かに相談して人の力を借りるのもまた大切なことだと思った。

1月22日(火)
会話の中で趣味や休日の過ごし方の話になり「やりたいこと、心の底から楽しいと思えることがこれと言ってない。そんな調子なので、毎日会社に来て仕事をしているのが楽」とある人が言った。私も大学卒業したばかりの頃は、就職が決まらず、やりたい仕事や好きなこともなかなか見つからなくて、かなり悩んだのでその気持ちが少しは理解できる。あなたはどうかと聞かれたので、「自分はブラジルの音楽が好きで、大変なことがあっても、今はライブに行って演奏を聴いていると元気になれる」と答え、口に出したあとで、これが自分が今、素直に感じている気持ちなのだと気づいた。こういう深い部分の話をするときには、やはり日本語で話ができるとありがたい。「自分の本当に好きなことが見つかったのだから幸せだよ」「私はやりたいと思ったことをしなかったことがあって後悔した。人生一度しかないのだから、“腹の奥”“ヘソの奥”からやりたいと感じたことをやるのがいい」と。深い。
| ycuio | 過去の日記 | 00:26 | comments(0) | - | -
ある日の日記から(12月・その2 【年末年始編】)
12月24日(月)
午前中、25 de Marçoで買い物をして、夜はクリスマスイブのパーティーに招待してもらい、友達のRenataのうちへ行く。3年ぶりにRenataと再会。家族だけの食事かと思ったら、親戚や近所の人も集まる大きなパーティーだった。マンションの中の共有スペースを使って毎年やっているらしい。食事は持ち寄りで、ブラジル料理と日本料理がだいたい半分ずつ。どちらもおいしかったので、ついつい食べ過ぎてしまった。
彼女は日系三世。日本語はおばあちゃんとおばさんが1人話せるほかは、あとはみんな片言なので、ほとんどポルトガル語で話さなければいけなかった。彼女の家族や親戚はみんな素敵な人。Renataのおばさんに1人、とっても個性的な人がいて、彼女が話している間は、私もRenataもいとこも皆笑いっぱなしだった(何を言っているか分からなくても、おもしろいかどうかは分かる。「笑い」に言葉はいらないと思った!)。底抜けに明るくて天然ボケ炸裂、ダンスや歌が大好きで、Piadaも上手。久しぶりに、おなかをかかえるほど大笑いした。Renataが「大晦日とお正月は、私たちと一緒にGuarjá(おじさんの別荘)に行こう」と誘ってくれた。


12月25日(火)
今日はGleiceのうちにお昼を食べに行く。ClínicasからEmbú行きのバス。全然バスが来なくてだいぶ待ったように思う。中には、近くの病院で診察を受けたあと1時間以上もバスを待っている人がいた。私も体調が良くなくて(私の場合は「食べすぎ」が原因だったが…)、気分が悪くなってだるくて帰ろうかと思った。
すごいスピードで飛ばすバス、犬の死体…。今日は、普段の生活では出会えないものを目にしたように思う。バス停に着いてGleiceに電話をかけている途中で携帯のチャージがなくなってしまい、用意の悪い自分に腹が立ってきたのと、公衆電話を探しても全然見つからないのと具合が悪くなってきたのとで、本当に帰ろうかしらと思ったところへGleiceが来た。食事もほとんど食べることができず、私の大好きなクスクスもあったのに残念だった。しばらくソファで休んでいたら良くなり、帰りはGleiceのお母さんと途中まで一緒にバスで帰った。今日は“食べたいのに食べられない”ツラさを経験した一日だった。

12月26日(水)
この何日かは体調が良くなかったけど、ブラジルのクリスマスをめいっぱい楽しもうとして、ちょっと無理をしてしまった。でもとても楽しく過ごすことができて満足。食べすぎの状態が続いていたので、おなかも全然減らない。今日は朝食だけではなく昼食も抜き、夜には少し“おなかが減る”感覚を取り戻した。今日は事務所も静かで落ち着いていた。すでに休暇モードのようだ。

12月27日(木)
研修の帰りLiberdadeへ。思ったよりも混雑していなかった。日本の密封パック入りのお餅もあったけど、ちゃんとした(柔らかい)お餅も売られていた。おいしそうだったけど、冷蔵庫にたくさん食べ物が余っているし、お正月は多分出かけて留守にするので、買うのをやめた。

12月30日(日)
朝早く出発してGuarujáへ。渋滞もそれほどなく、あっという間に到着。着いてすぐビーチへ。アパートはおじさんのものなのに、おじさんたち家族は海には行かず、海へ行くのはRenataの家族だけというのがおもしろい。みんな、私が楽しんでいるか遠慮をしていないか、いつも気にして接してくれた。少しなれなれしいかなぁと迷ったけど、親しみをこめて…ということで、Renataの両親、おじさん・おばさんをPai, Mãe, Tio, Tiaと呼ぶことにした。クーラーがないので部屋はかなり暑く、日本ではあまり食べないカキ氷を3杯も食べてしまった、

12月31日(月)
午前中はビーチで過ごし、お昼ごはん前には戻って部屋でのんびり過ごす。なんて素晴らしい生活! 昼ごはん前の軽食(!)の時、何を食べるか、RenataとElenが少し言い合いになる。言い合いといってもケンカではなく、「私はエビが食べたい」「私は食べたくない」とかそんなレベルのもの。ブラジル人で言えば、きっと普通の会話の一部で、何でもないことなのだろう。自分にとっては慣れてないことだったので戸惑ったけど、それが彼女だちブラジル人のコミュニケーションスタイルなのかなと思ったので、(たとえ解決に時間はかかっても)日本人である私は余計な口出しはせず、見て見ぬふりをして放っておこうと考えた。でも、次第にどうにも見ていられなくなり、迷った末に「好きなものをそれぞれ頼んだらどうかな…?」と提案。それで一発解決。Renataは日本にいる時にはおとなしいイメージがあったので、意外な一面を見た気がした。やっぱり彼女はブラジル人だ。
Unoに似たCamCamというカードゲームでも、Renataのお父さんのPauloとArnaがルールをめぐって言い合い(どちらも勝ちたい気持ちが強かったらしい…。ちょっとかわいかった)。ここでも「この回のゲームはチャラにして、いまここでちゃんとルールを決めて、次からは新しいルールでやろう」と言ってみた。
異文化体験だったのか、何だかよく分からなかったけど、今日はこの言い合いが一番印象に残った。

1月1日(火)
Reveillonはみんなで海岸に行き、カウントダウンの花火を見る。写真を撮ろうとしたらバッテリー切れ。最悪だ…。

貴重な2枚です。




花火は日本のものと違って、花火の○(丸)のかたちがいびつ。それが、何かブラジルっぽくていいなと思った。かなり規模の大きい(火薬もたくさん入っていそうな)花火なのに、火薬が設置してある場所はロープで囲ってあるだけ。しかも花火の筒は砂で簡単に埋められているだけの作りで、人がいる場所にも相当近い距離。花火は今にも降ってきそうな勢いで、頭のすぐ上をあがる。安全対策があまりに“きがる〜♪”な感じで、ちょっと驚いた。洋服はReveillon用の白い服を持って来なかったので、仕方なく白いTシャツを買うことにする。お店が少ないせいか、白いTシャツがあまり売っていない。あちこち探したけど、自分に合うサイズは結局1枚しかなく、デザイン・柄、有無を言わせず…という感じで購入。こんなことならサンパウロで買っておくんだった。みんなで写真を撮ったけど、できることなら写真は見たくない!
花火を見たあと部屋にもどって夕食。時計を見たら夜中の1時だった。新年1発目の食事はカレーライス。でもさっぱりしていて、胃にもたれることもなくおいしく食べた。渋滞を避けるため、3時過ぎにGuarujáを出発し、帰りはRosaおばさんの車で大音量でラジオをガンガンかけて帰ってきた。これまでだったら、ポル語ばかりの中にいると途中でキツくなっていたけど、みんなが気遣ってくれたこともあり、今回の旅行はそんなでもなかった。Renataたちのおかげで、年末年始を楽しく過ごすことができた。

1月2日(水)
初出勤。門を入るなり、いきなりBobのウンチを踏む(今年はきっとツイている!) お弁当を作らなかったので、お昼は久しぶりにLuizのホットドッグ屋へ。今日はお客さんがほとんどいなかったので、X-Saladaのレタスとトマトを増やしてもらった。Luizと年末年始の話をしたあと、Luizが「ポルトガル語が上手になったね。来た頃は全然話せなかったのにね」と言ってくれた。自分のことについては話せるけど、何かを説明しようとすると難しいんだよと話したら、「言いたいことは十分理解できるし、ちゃんと伝わっているよ」。なんでブラジルの人はみんなポジティブでホメ上手なんだろう。年末年始にゆっくり休んだためか、今日の研修では集中して校正できた。

1月3日(木)
新年に入って、今後の校正をどう進めるかいろいろ考えた。これまで校正したページ数を計算したら、現時点で308ページが終了。だいたい6割が終わっている計算になる。6月に研修が始まり、この校正を進めていく中で、解決しなければいけない問題や分からない点が多く出てきた。それを自分で一つ一つクリアにしていきながら、今の校正の基準を確立するまでにかなりの時間がかかってしまった。もう少し校正をスピードアップしてとも思うが、無理せずこの先も続けていくには今のスピードが限界かなとも感じる。
| ycuio | 過去の日記 | 17:55 | comments(0) | - | -
ある日の日記から(12月・その1)
12月8日(土)
学生割引のカードを作ろうとSPTransへ行ったけど、SéのSPTransは土曜休みだそうで、開いていなかった。Séの駅で何度もカードの作り方を聞いているけど、申請できる場所や必要となる書類、係の人によって毎回言うことが違う。このカードだけは半年たった今もどうしてもうまくいかず、未だに作れずにいる。一度インターネットでサイトを確認してから行ったほうが確実で早いかもしれない。
知らない単語も多いし、苦手意識があって、これまで「読む」ことを避けてきた。ポル語のサイトを見るのも面倒でこれまでしてこなかったけど、最近ではいろいろな場面で読む必要性が出てきている。
帰りにSé周辺で買い物。いろんなものが売られていて、見ているだけでも十分楽しい。たまたま入った本屋で、気に入ったデザインの手帳を見つけたけど汚れていた。同じチェーンの他の店が近くにあるというので、そこまで行って買うことにした。通りの名前だけ店員さんに教えてもらい、まったく分からない場所だったので、あとはとにかく周りの人に道を聞きながら。時間はかかったけど、何とか同じものを買うことができた。そんな買い物も結構おもしろい。

12月10日(月)
午前中病院へ行って、入院費の支払い。保険がおりるまでの立替えとして、とりあえずクレジットカードで支払ったが、医師の診察代の750レアルだけは小切手か現金でないと支払えないと言われて驚く。額が大きい。幸い、研修先から生活費をいただいたばかりで手元に現金があったので、とりあえずはその中から支払うことにした。
約2週間ぶりに研修先へ行ったが、ちょっとした“浦島太郎”状態だった。故障中の冷蔵庫がなくなっていて水飲み機の位置が変わり、Bobも毛を短く刈ってイメチェン。Bobは体が変にスリムになっただけでなく、これまでまゆげみたいだった毛も切られ、目のまわりがミョーにパッチリして気持ち悪い。でも、久しぶりに尻尾を大きくふって喜んでくれた(←私にはそう見えた!)のはうれしかった。

12月11日(火)
朝、サンタクルーズ病院で皮膚科の診察。ときどき頭がボーッとしたりだるくなったりすることがあり、そのことを話したら、これまで飲んでいた薬は糖尿病や高血圧などの副作用があるものということが分かる。その薬を外し、副作用のない薬のみにしてもらう。ブラジルの薬は日本に比べて効き目が強いので、こういうことも気をつけたほうがいいんだなと思った。皮膚科のDoutora Sueliはやさしい先生で、治療の説明もちゃんとしてくれるし、何より日本語が通じるのがうれしい。もし今後何かあったときは彼女に診てもらえば安心だ。

12月12日(水)
病院で検査をしてから研修へ。研修先に着いたら急に疲れが出て、体もだるく気分も少し悪かった。校正を始めても集中が続かず、長い間 席に座っていることができなかった。早く元の健康状態に戻りたい。

12月14日(金)
友達のRenataからメールがあった。クリスマスイブの夕食の招待だった。研修先のGleiceもクリスマスに家でランチを食べようと言ってくれた。研修先の他の人たちも「Tudo bem? もう治った?」と気遣って聞いてくれる。みんなの優しさがうれしかった。
どんよりした天気が続いていて、また体調も良くないので、気分も沈みがち。でも、せっかくブラジルにいるんだから、これからは楽しいこと・前に進むことだけを考えようと思った。

12月15日(土)
ポルトガル語のレッスン。振替授業で、今日は2時間分受けた。これまでやった内容の復習と、2時間目は理解度チェックのため文作り。家で復習はあまりしていないが、その分レッスンのときに集中して受け、それと覚えたものはなるべく早いうちに会話で使うように心がけている。
レッスンのあとは、25 de Marçoに行って、研修先でする予定のAmigo Secretoのプレゼントを見る。Amigo Secretoは、クリスマスのプレゼント交換のときの、ちょっとした遊び(ゲーム)みたいなものだ。まず参加者を募って、プレゼントを贈る相手をクジで決める。ただし、クジで決まったプレゼントの贈り相手のことは、贈り主本人にはもちろん、他の人にも話しちゃダメ。なので、自分が誰からプレゼントをもらうかは“当日までのお楽しみ”になる。相手へのプレゼントはその人が喜びそうなものを考えて(←ときには気づかれないように、観察したりなんかして)買うというわけ(※事前に[第3候補までぐらいの]欲しいものリストを書いて、相手の名前と一緒に渡される場合もあるようだ。プレゼントはそのリストの中から選べばいいので、これだったら買いやすいと思う)。この国では、たくさんの人にプレゼントを贈る余裕のない人も多いので、これは言わば“ブラジルの知恵”とのこと。
私がプレゼントを贈る相手はGleice。一緒に出かけたり話をしたりする中で、けっこうファッションに気をつかっていると分かったので、何か身につけるものを贈りたい。でも、人の好みはそれぞれだし、限られた予算の中で相手が喜ぶプレゼントを考えるというのはけっこう難しい。好みのチェックのために彼女を観察しようとしても、普段は違う階で仕事をしているので、いきなり彼女のところに行くのも何かバレバレな気もするし…。
25 de Marçoでは(質もデザインもわりとよさそうな)バッグのお店を偶然見つけた。でも今日はとりあえず店を見るだけにして、買わずにそのまま帰ることにした。

12月16日(日)
今日もプレゼントの買い物。バッグはブラジル人の女の子が好みそうなデザインのものを選んだら、それが彼女の好みになると考えて(信じて)、昨日見つけたお店でちょっとした外出用のバッグと口紅ケースを買った。バッグは長く使ってもらえるように、あとパーティーなんかにも持っていけるように、黒のシンプルなものにした。これに口紅を付けるつもり。気に入ってもらえるといいなぁ。

12月18日(火)
事務所の研修生 Boni, Luiz, HeitorとSanta CecíliaのBarで飲み会。ポル語のレッスンがあったので、私はあとからMetrôで行った。学生が多く集まる安いBar。あとからBoniの女友達2人も加わって6人で飲んだ。串刺しにしてあるニンニク味のパン(ガーリックトーストとも少し違う)がすごくおいしくて気に入った。会話は、どうしても内容を理解できない部分はBoniが日本語で説明してくれたので、何とか楽しめた。たくさんスラングも教えてもらって面白かった。あとでBoniが他の人に「日本人で、しかも女性なのに、あんな店で飲んだんだよ」と話したけど、いやいや、日本のほうがもっと汚いトコロで飲んでいる。

12月19日(水)
研修の帰り、São Joaquímの駅で。前の人が勢いよく改札を抜けたはずみで改札のバーがぐらついて、太ももの部分に思いっきりバーが直撃。青アザにはなっていないけど、すごく腫れていて、明らかに内出血している感じ。最近、改札のバーに広告が入っているが、そのためにバーが軽くなって、よく跳ね返ってくる。
危ないからやめてほしい!!!!!!!!!

12月20日(木)
研修のあと、事務所近くのレストランでプレゼント交換のAmigo Secretoをする。まず一人が前へ出て、自分のプレゼントの贈り相手についてスピーチ(たとえば「私のAmigo Secretoは女性でー、○○さんと同じ部屋で働いていてー」のように)。ときには相手の性格や特徴なんかを織り交ぜながら、クイズのようにして言っていく。また周りのみんなも、それが誰かを当てる。
Gleiceは私のプレゼントをすごく気に入ってくれた。包装紙を開けたらバッグが→バッグを開けたら口紅ケースが→口紅ケースを開けたら口紅が…、というのがサプライズになったみたい。自分では全然思いもしなかったけど。喜んでもらえて本当によかった。Boniはランジェリーショップの紙袋を持ってきて、「Boniのプレゼントの相手は誰なんだろうね…」とみんな興味津々だったけど、その贈り相手はDoutor Carlos、プレゼントは本だった! これには全員がビックリ。「だまされた〜!!」と言って大笑いだった。

私はTシャツをもらいました。ピンボケですが、そのときの写真。


レストランでは、みんなでちょっとしたおつまみ(あと飲み物)を頼んだが、食べ終わってちょうどお会計をしようという頃になって、こっちが注文してもいないのに店が勝手に料理をじゃんじゃん出し始めた。途中で帰る人たちがいたので、私も彼女たちに交じって一緒に店を出た。店を出たうちの2人は一人暮らしをしている。「サービスもひどかったけど、あのままいたら、もっと高く払わされることになってしまう。料理もけっこう高かったし」と2人。私も店のぼったくり度が気に入らなかったし料金も心配になったが、それよりも周りというか、場の空気を気にしてしまい、なかなか席を立つことができなかった。でも、こっちでは納得がいかなかったら途中で帰ることも普通。場の空気を読む、周りに合わせるところは日本人のいい部分だけど、その協調性がときに自分の意思を消してしまうこともあるんだと思った。

12月21日(金)
サンタクルーズ病院で、先日受けた検査の結果を聞く。体調はまだ完全回復とまではいかないけど、とりあえずこれでいったん治療は終了。「1ヶ月様子を見て、あまり良くならないようならまた来てください」ということだった。「おいしいものをたくさん食べて、クリスマスや新年、カーニバルを楽しむのが一番」とも言われた。確かにその通りだ!!
| ycuio | 過去の日記 | 14:38 | comments(0) | - | -
ある日の日記から(【旅行・入院編】)
11月27日(火)
深夜バスに乗って、ベロ・オリゾンチへ。今回乗ったComerta社のバスは車両が新しく快適。乗り心地がいいのにも驚いた(一番安いクラスの席だったが、私は背が低いのでリクライニングを倒すと、ビジネスクラス並みの座席になる!)。夜はバスの窓から見る空があまりにも美しくて(外は曇っていたけど、雲がまた幻想的な雰囲気で素敵だった)眠るのがもったいなくて、音楽を聴きながらしばらく外を見て、いろいろなことを考える。気が付いたらいつの間にか眠ってしまっていた。
ホテルにチェックインしたあと、少し疲れていたので部屋で休み、今日はホテルの周りを散歩するだけにした。去年の旅行では感じなかったけど、ベロ・オリゾンチはサンパウロに比べて蒸し暑いように思う。雨もサンパウロのような霧雨(garoa)ではなく雨(chuva)だ。チリチリと暑い。

11月28日(水)
ホテルで朝食を食べたあと、Shopping Savassiへ。去年はShoppingの中を見ることができなかったので、今回はゆっくりお店を見てまわる。去年Ritaと再会して大泣きしたCaféがまだあった。
Ritaは元ポルトガル語の先生。とてもやさしい先生で、私は彼女のレッスンが大好きだった。ポルトガル語がずっと好きでいられたのも彼女のおかげだと思う。彼女がブラジルに帰るときは私はまだ超初級レベルで、「日本を離れてブラジルへ帰る」と彼女が説明してもそのことが全く理解できずニコニコ笑っていたぐらいだった。もう少しで自分のことが話せて相手にも質問できるようになるかなという頃で、そうなったら彼女といろいろ話してみたいと思っていたので、彼女の帰国を知って本当に残念だった。そういう思いを再会したときに伝えた。自分の気持ちが伝えられるようになったことに自分でも驚き、うれしかったのと、当時を思い出したのとで、それで感極まって号泣してしまった。今回は、時間的に余裕がなかったこともあって、こちらに旅行することは知らせなかったけど、次回また来たときに会えたらいいなと思う。
そのあと、途中寄り道をしながら歩いてMercado Municipalへ。去年みんなで食べたEmpanadaの店を探したけど、見つけることができなかった。帰りはバスに乗ってホテルまで戻る。食事したあとで、足がかゆくなる。前に虫にさされたところだ。今回は強烈にかゆい。

11月29日(木)
朝起きたら、顔が少し腫れていた。夜、足がかゆくなった次の日は、なぜか必ず唇の周りが腫れる。ブラジルへ来てから度々出ているアレルギーだ。今回は唇だけではなく頬の辺りまで腫れている。範囲が広がっているだけでなく、かゆみもある。これまでかゆいのは足だけで、顔は腫れるだけでかゆみが出たことはなかったのに…。これ以上ひどくなりませんように…。

11月30日(金)
今日はParque Municipal、Museu de MineralogiaとMuseu Mineiroをまわった。Parque Municipalはきれいな公園。博物館(特にMuseu de Mineralogia)は(アメリカの大きい博物館や日本の博物館と比較するのはちょっと違うとは思うのだけど)、もう少し分かりやすく見せるように作ってほしいなぁと思った。
もう1日延泊しようと考えていたが、見たい博物館を今日全部まわることができたのと具合もあまり良くなかったのとで、予定通り、夜のバスで帰ることに。最後、お土産のDoce de Leiteがなかなか見つからず、あちこち探し回った。行きのバスはすいていて快適だったので、帰りも同じようにすいているバスを選んで予約した。

12月1日(土)
バスの中で足のかゆみがひどくなり、Tietêのバスターミナルに着いた時にはアゴのへんからあやしい汁が…。よっぽどヒドイ顔をしてたのか、Metrôのホームで電車を待っている間、自分のまわりを人が避けて通るのが分かり、また“微妙な”視線も感じて、それがものすごく悲しかった。部屋で寝てから午後に病院へ…とも思ったが、後からだと行くのが億劫になるので、タクシーを拾ってすぐHospital Santa Cruzへ。
病院に着いたのは、確か朝の6時前だったと思う。救急外来で受付と診察。ここでは日本語を話せる人はいなかった。そのあと、アレルギーを抑える注射を2本、腕とお尻(お尻のはかなり太い注射だった!)に打って、眠気が治まったら帰ることになっていたが、いくら休んでもダルさがとれない。そのうちソファでジーッと座っているのもつらくなり、ベッドに寝かしてもらうように頼んだ。頼みに行った時に、かなりフラついた状態で歩いていて(意識がだんだん遠のいていくのが自分でも分かった)、ポル語も多分つたなかったのだろう、ベッドで休んでいる間に、誰か付き添いの人はいないのか、連絡をとれる人はいないのか、ちょっとした騒ぎになっていたようだ。私のほうは日本語が通じなくても何とかしようと考えてたし、それに土曜の早朝だったから研修先には誰もいない。運営委員の方への連絡も、ある程度容態が落ち着いて様子が分かった時点で報告したほうがいいと思っていたので、とくに慌ててはいなかったのだが…。何時間寝ていたのかはっきりしない。目が覚めた時に「連絡先は?」「保険は?」と慌てた様子で聞かれ、「一日入院」と言われたときには驚いた。

12月2日(日
朝の診察で、今日退院できないと知る。退院できるのは「ちゃんとアレルギーが治ってから」だそうで、それもいつになるか分からないという。入院が決まってからいろんな点滴を打っていて、出てくるごとにみんな種類が違う。どんな点滴をされているのか分からず不安になったが、でも言葉ができないので確認のしようがないなと思っていたところ、運営委員の山崎さんが病院の人に聞いてくださるということで安心した。
病院にいてもテレビを見るか本を読むぐらいで何もすることがなく、出歩くのも病室のあるフロアだけで、病院のまわりを散歩することもできない。出口すら近づくこともできない。看護師さんの言っていることが分からないことも多く、今日は少しイライラしてしまった。唯一の楽しみは食事。同じ病室にいるDona Seikoが、食事は慣れたものがいいだろうと、私の食事を白ご飯とみそ汁にするように頼んでくれた。食べることが好きで本当によかった!

12月3日(月)
前に家族が「最近Sudokuにハマっている」と話していたことを思い出す。明日朝、雑誌売りのおにいさんが来たときに絶対に買おう。入院して一番驚いたことは、ブラジルの病院は日本と違い、病院内・病室内は携帯の使用が自由に認められていることだ。隣に心臓のペースメーカーや機械があっても、だ。
入院して4日しかたっていないのに、お腹がポッコリ出てきた。食べたと思ったら次の食事が出てくる“わんこ食”。食事は朝・昼・おやつ・晩・夜食の1日5回だ。

12月4日(火)
Sudokuの本を購入。やってみると奥が深く、かなり面白い。今日は一日中、受験生のようにひたすらSudokuを解いていた。病室には時計がなく、時間の感覚が分からない。夕飯のあとも夢中になってやっていて、気がついたら夜中になっていた。今日は一日血圧が高かったけど、薬ではなくSudokuのせいだったのか!?

12月5日(水)
朝の診察で、「明日退院」と言われる。寝心地のいいベッドとおいしい食事とサヨナラするのは寂しいけど、ようやく外に出られる。うれしい。
昼ごはんの前、ベッドでくつろいでいたら突然、血圧を計りに来た看護師さんに「明日ではなく、今日退院」と言われて大混乱。あとで聞いた話によると、万が一の時には支払いの保証先になると研修先が言ってくださったために、退院が認められたらしい(保険は降りるものの、これまで支払い能力があるかはっきりしていなかったということのようだ)。荷物をまとめたあともなかなか退院できず、結局おやつも食べて、夕方帰った。部屋に着いたらドッと疲れが。心の準備をせずに、突然病院を出たからだと思う。こんなにバタバタするなら、もう一日いたいと言えばよかった。薬も薬局まで行って自分で買いに行かなきゃいけないから大変だ。

12月6日(木)
昨日売り切れだった薬を買いに行った。まだ100パーセントの体調ではないので、少し出歩いただけですぐ疲れてしまう。今日は一日中部屋で休んでいた。

12月7日(金)
今日も部屋で休む。体を休めるためといっても、部屋に一日中ひとりで寝ていると気がめいる。今日は夜、近くのスーパーまで買い物に出た。もし体調がよかったら、明日・あさっては出かけよう。
| ycuio | 過去の日記 | 13:10 | comments(2) | - | -
ある日の日記から(10月・11月)
10月27日(土)
報告会のあとで、レポートをプリントアウトしたインターネットカフェに、ペンドライブを忘れてきたことに気がついた。ダメモトで聞きにいったら、受付の男の子が持っていてくれた(というか、使っていた…)。何はともあれ、無事戻ってきてよかったー。

10月28日(日)
県人会の台所でゴキブリを見た。いつかこの日がやって来るとは思っていたが、まさかこんな早い時期とは…。日本からは「コンバット」を持ってきた。でも確か3個しか入っていなかったように思う。こんなことなら、もっとたくさん持ってくればよかった。ちなみに、隣の部屋の風間さんは、台所でネズミと会ったと言っていた。

10月31日(水)
Doutor FracarolliにTudo bem? の挨拶をした時、いつもと違ったように言おうとして「Tudo joia.」と答えたら、「Tudo joiaはスラングだよ」。!!!! スラングだとはまさか思わず本当に驚いた(Doutorのほうがもっとビックリしただろう…) 外国人なので大目に見てくれているとは思ったけど、知らなかったことを後で謝りに言ったら、「大丈夫だよ。(失礼ではないことは)顔や態度で分かるから」と笑って答えてくれた。でも、冷や汗かいた。

11月1日(木)
今月は、こっちにいるブラジル人の友達にもメールを書くつもりでいる。ずっと連絡をとっていなかったので気になってはいたが、彼女たちといる時はすべてポル語で会話しなければならないので(当然か…)、これまで“休日もポル語漬け”でいる勇気がなかった。でも、ポルトガル語を上達させたいと考えるなら、自分からもっと積極的に外へ出て、話す機会を作っていくことも必要だと思った。

11月3日(土)
事務所の人と4人で、Mercado Municipalへ行った。Mercado Municipalへは去年の旅行で行ったけど、今回こちらへ来てからは初めて。一番行列のすごかったHocca Bar(老舗の店)で、モルタデラのサンドイッチとバカリャウのPastelを注文。手分けして2人が行列に並んで、私は席取りの役割だったが、あとから来た人たち(図々しい人たちいっぱい!)にどんどん席を横取りされてうまく取れず、結局、別の場所で食べることに…。席が取れなかったことが、いつまでたっても悔しかった。でも、これで要領のいい席の取り方が分かった。次からは絶対に横はいりさせない!!!!

11月5日(月)
今日はいつもより大きいヘリコプターの音で目が覚めて、ベッドの中で何となく「こんなのが落ちてきたら怖いな」と考えていた。そのあと研修先でお昼の時間に(住宅に落ちた)飛行機事故のニュースを知った。防ぎようのない事故が突然起きてしまったらどうしようもない。でも、何が起こるか分からない怖さを感じた瞬間だった。

11月7日(水)
スーパーのレジでは、私の番になる手前でお金の集計がよくあり、待たされる。これは“たまたま”なんかじゃないと思う(いくらなんでも多すぎ)。はじめのうちは「ここは日本じゃないんだから、気楽に気楽に…」と思っていたが、自分が軽く見られているみたいで、だんだん悔しいと思うようになってきた。Japonêsは文句を言わないから?? きっと人を選んでやっているとは思うけど、それだけになんか複雑だ。

11月9日(金)
研修の後、いつも研修先を出るのが遅いので、たまには定時に帰ろうと今日は6時に事務所を出る。金曜日ということで気分もよかった。最近は集中して、またスピードも上げて頑張って校正しているので疲れもたまる。体調に合わせて仕事のスピードを調整するバランスも大切だと思った。

11月10日(土)
朝早く起きて、田尻さんとAclimaçãoのFeiraへ行く。野菜や果物の店はたくさん出ているし、魚も種類豊富で、少量でも売ってくれる。魚を食べたいときは、これからここで買うことにした。帰り道、近くのスーパーで買い物をして、疲れたので部屋に帰って少し昼寝をする。バスのチケットをとりにTietêのターミナル、そのあとLiberdadeのTEATRO FECAPでライブのチケットを予約。朝早く起きると本当にいろんなことができる。やっぱり早起きは三文の得!

11月12日(月)
以前、友達が「日本語と英語とポルトガル語。話す言葉によって、自分の性格(人格?)が少し変わる」と話していたことがあったが、今それが分かる。日本語を話しているときは、自分の気持ちや感情はどちらかというと内側に向かっているような気がする、反対にポルトガル語を話しているときは、もっとオープンで、感情や気持ちは外へ放たれていくような感じ(英語はあまりよく分からないけど、多分同じような感じだろう)。ポルトガル語を話しているとき、日本語を話しているとき、どちらも好きだ。
一方で、9月あたりには少しポル語の聴き取りがラクになってきたと感じたが、最近では退化しているような気もする。

11月13日(火)
最近、日記に書くことがなくて困る。ネタに困るということは、生活に慣れてきて特に新しい発見がなくなってきているのか、それとも考える力・発見する力が衰えているのか、それとも積極的に行動していないということか…。最近の日記を見ると、あまり積極的に行動していないようにも見える(出かけるときは、たいてい誰かに誘われて出かけることが多い)。これまでとは何か違ったことをやろう、新しい場所に出かけてみようとは思うが、なかなか体が動かない。半年経って、少し焦りも出てきているようだ。6〜7月頃に感じたのと同じような気持ちになっている。

11月15日(木)
一人でJoão Boscoのライブへ。前から一列目の席で観ることができた(カメラを持って行けばよかった)。ホールもそんなに大きくないこともあって、彼も観客である私たちもすごくリラックスして、とてもいい雰囲気の中で行われたShowだった。
私がこれまで観たどのライブでも、ミュージシャンが曲の合間にする話でお客さんが大爆笑する(何を言っているか全く分からないのが残念)。「彼らがブラジル人だから(冗談を言うのが好きなのか)?」「観に行ったミュージシャンがたまたま皆冗談好きな人だっただけなのか?」などと考えていたけど、そうではなく、音楽だけではなくすべて含めてが観客を楽しませることなんだなと思った。いつの日か、私もみんなと一緒に大笑いしたい。今日の場所は家から近かったので、帰りは安心だった。

11月24日(土)
友達と一緒に、Jorge Ben Jorのライブへ。昼間もずっと出歩いていたので疲れていて足もだるかったけど、始まってからはそんな疲れはふっ飛んだ。できるだけ前のほうで聴きたかったので、人ごみのドサクサにまぎれ、踊りながらジリジリ前進。隣にいたのは、黒人のおじさんとアフロヘアの男の子。親子で音楽をやっているらしく(多分Jorge Ben Jorのカバーをやっている)、DVDを見せてくれた。男の子のほうは、いかにも「勉強しに来てます」という感じで、かなり真剣に聞いていた。
途中、女の子が一人ステージに乱入。ほかの女性の視線がかなり鋭く怖かった(とくに、美人の子の。あの冷たい目つきは忘れられない…。「場の雰囲気考えなさいよ−」というよりも「自分だけ目立つなんて許さないっ!!」ということだろう)。場がしらけたような空気になりかけ、どうなることかとハラハラしたが、だんだんステージにあがる女の子が増えていったのはさすがブラジル。最後には“祭り”に。ブラジルの縮図を見た気がした(Jorgeの娘も隣でガンガンに踊っていた)。
衣装替えのため5分ぐらい中断したほかは、歌いっぱなし・踊りっぱなしのライブ。ライブに行き“熱い”ミュージシャンを目にするたびにいつも思うことだけど、自分も歳をとっても彼らのように、いつまでもパワフルで若々しい気持ちを持っていたい。音楽もよかったけど、今日はそれよりもハプニングのワケわかんなさ・バカさ加減が楽しいライブだった。また一つ 面白い体験。

最初はクールに歌ってた彼も…


女の子たちに圧倒され…


もみくちゃ。


11月25日(日)
Bobのエサを買いに、HelenaさんとペットショップPet Center Marginalへ。ペットショップといってもすごく大きく、ペット用品やグッズ、各種動物(!)を売っているほか、トリミングコーナー、軽食コーナーもあり、ペット専門のショッピングセンターといったところ。Bobは犬・ネコの里親探しの団体からもらってきた犬で、その団体は週末にここで活動をしている。その団体の活動を見てみたくて、今回お願いして連れて行ってもらった。Helenaさんに団体の人を紹介してもらい、自己紹介して少しお話しをした(名前は忘れてしまったけど、ドラマで活躍している俳優さんもいた)。店には血統書付きの犬やネコも売られていたけど、裕福な人であっても、その団体で犬やネコをもらっている人も多い。こういう活動で、少しでも不幸な犬やネコが減るといいと思った。一方で、日本では、血統書付きの(または流行の)ペットを買いたい人が多いように思うから、こういう活動をしている団体の人たちは里親探しに苦労しているのではないか、とも…。
Bobは私がリードを引いているときには、自分の行きたい方向、歩きたいスピードで勝手に進み、Helenaさんが自分の近くにいない時はさびしそうに鳴く(私がいるのに失礼すぎる!!)。今回ナメられていることがよく分かり、ちょっぴりBobが嫌いになった。

11月26日(月)
研修後、いったん部屋に帰って旅行の準備。昨日すでに準備は終わっていたのに、後からいろんな忘れ物がちょこちょこ出てくる。最後には、かなりの大荷物になってしまった。途中、バスの時刻を30分遅く勘違いしていたことに気づき、大慌てでうちを出る。駅までものすごいダッシュで走った。バスの時間には十分間に合ったが、余裕を持って1時間早めに準備しておいてよかった。でも、本当に焦った。
| ycuio | 過去の日記 | 07:12 | comments(0) | - | -
ある日の日記から(10月)
10月9日(火曜)
お昼のあと、お金をおろしに銀行へ。事務所近くの移動ホットドッグ屋(?)O Seu Luizで、Luizと向かいの医院の陽気な運転手Joséがしゃべっていた(彼らとはたまに話をする。私が日本人でポル語を勉強していることを知っているので、ゆっくり話してくれる)。
道の反対側にいるLuizとJoséに大声でTudo bem の挨拶をしたあと、「どこへ行くんだー?」と聞かれ、ついうっかり「“銀行”へ行くの〜!」と言ってしまった。私、今お金持ってますと周りに教えているようなものだ!(預けるにしても下ろすにしても、カネ関係であることに変わりはない)
ブラジルで生活していると、こんなちょっとしたことも気を遣わなくてはいけない。日本語の「えぇ、ちょっとそこまで…」は便利だなと思った。

10月20日(土曜)
CIATEの講演会2日目。午前中にあった、群馬大の先生の教育についての講演、静岡県警の捜査官の講演、最後の呂比須ワグナー(あの呂比須です!)の講演がとても興味深かった。日本に来た外国の人が抱えている問題を少しでも良くするために、たくさんの人が多くの分野で活躍・努力されているんだなと何だか嬉しくなった。
講演会のあと、呂比須さんにサイン入りのメッセージ
「Eu posso!! Eu consigo! Eu merço!」(私はできる。絶対にできる。私にはその価値がある)
を辞書に書いてもらって、一緒に写真を撮った(かなりミーハーだ!!!)
今回のCIATEのお手伝いでは、いろんな場面で、日本人のいい部分、自分の中の日本人としてのいい部分を発見することができた良い機会だった。



10月22日(月曜)
LígiaとVila Madalenaの駅近くのカフェでエクスチェンジをした。本や雑誌がたくさん売っていて、また適度に人の話す声もあって落ち着ける場所だった。
最初のイントロダクションとして、日本語の決まりについて教えた。言葉のルールを説明するのはなかなか難しい。今度はすぐに使うことのできる、ちょっとした表現を紹介しようと思った。

10月23日(火曜)
前に、事務所のお昼の時間に「Palavrão」という単語を教えてもらったが、今までその意味をずっと勘違いして覚えていた。辞書を見て驚いた。“palavrão 卑猥な言葉”。
ずーっと「スラング」(gíria)と同じ意味だと思っていたので、事務所のみんなには「私はpalavrãoをたくさん覚えたいです。もっと教えてください」と言っていた(しかも真剣な顔で)。また、よくpalavrãoを教えてくれるFláviaには「あなたは“palavrãoの先生”ですね」と言っていた(彼女、大笑いしていたけど、今思うと、ちょっと複雑な顔をしてた気も…)。
お昼ごはんの時間にその話をしたら、みんなに大笑いされた。

10月25日(木曜)
今日もLígiaとエクスチェンジ。今日は私のポルトガル語の時間になった。楽しく雑談しながら、新しいことも覚え、あっという間に時間が過ぎた。
彼女は前に英語を教えていただけあって、やっぱり教え方が上手。今日は日本の歴史についていろいろ質問され、しどろもどろだった。自分の国のことをちゃんと説明できないのはやっぱり恥ずかしい。

10月26日(金曜)
夜の9時ごろから、県人会の地下のホールで、大学生向けのダンスイベントが始まった。大音量で、床と窓がビリビリ震えている(←自分の部屋のちょうど下)。明日までに仕上げなければいけないレポートがあったが、あまり気にならなかった。音楽もいろんなジャンルがかかって、聴いていて楽しかった。
飲み物を取りに部屋を出たら、すごい煙。最初、火事かとビックリしたが、どうやら下から上がってきた煙っぽい。12時過ぎて、今度はサンバのbateriaの練習に変わった。夜中なのに、みんな元気すぎ!(私も見習わねば!)
5ヶ月経って、だいぶブラジルの騒音にも慣れてきた。この国では少し図太くというか、厚かましくいるぐらいがちょうどいいのかもしれない。
| ycuio | 過去の日記 | 23:23 | comments(0) | - | -
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>

このページの先頭へ