ブラジル研修レポート (ブラジル日本交流協会 07期研修生)

サンパウロで感じたこと・考えたこと・気がついたこと。
ブラジルでの研修。そして研修終了後の私。
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ある日の日記から(8月・その2)
8月20日(水)
研修先に少し遅くまで残っていたら、Forróのレッスンに行くのが面倒になって休んでしまった。Forróのレッスンは最近、土曜の振替にも行けていない。だんだんサボりグセがついてきた。

8月21日(木)
研修後は今日も大学へ。「Fund. Da Didática da dança」「Lutas II」の授業を聴講。「Lutas II」の授業に出たのは少しの間だけ。教室を出るとき、Luiz Fernando(先生)が「再来週は(講義じゃなく)実践だからー(来なさい)」。
大学からの帰り道、財布を見たら80センターボしかなくてビックリ。ちゃんと家に帰れてよかった。

8月22日(金)
足を中心に、虫に刺されたところが去年の夏からずっとかゆいのだけれど、最近ひどくなってきてかゆみも広がっている。帰国する前に診てもらったほうがいいかなと思い、Santa Cruzの診療所へ。飲み薬と塗り薬を処方してもらった。

8月23日(土)
朝、美容院へ行ってFranから休暇の話を聞く。サンパウロからバスでBahia州の内陸の貧しい地域まで行って、生活物資を届けたとのこと。とてもいい休暇だったのよ、と満足そうに話してくれた。
午後、Vila Carrãoの沖縄フェスティバルへ。今年はブラジルの日本移民百周年ということもあって、特にチカラが入っているようだった。アメリカやペルーなどブラジル以外の国からも沖縄移民の方が来ていて、日本からはチャーター便も出たとのことでビックリ。パレードも屋台も本格的で気合いが入っていて、移民の方の郷土愛・オキナワ魂を感じるフェスティバル。
ランチは沖縄そば(“ブラジルで沖縄そばが食べられる”なんて、ブラジルへ来る前は思ってもみなかった)。ヤギ汁を少しもらって食べたけど、めちゃめちゃおいしかった。あとをひく味。やみつきになりそう(といっても、ヤギ汁を食べられる場所自体そんなにないか…)。
夜はYamandu Costaのライブへ。たった一本のギターで演奏しているはずなのに、いろんなところからいろんな音が聞こえてくる。こんなライブを無料で聴けるんだから、やっぱりサンパウロはすごい。

8月24日(日)
夜、サンパウロ大学法学部の創立181周年記念のコンサートへ。普段クラシックは聴かないし、コンサートに行くのも久しぶり。会場に着いて開演までゆっくりワインを飲もうと注文したら、その直後、開演を知らせる鐘が…。で、グラス一杯のワインを一気飲み。席で爆睡してしまったら恥ずかしいなと思っていたら、退屈するどころか、とてもいいコンサートだった。
コンサートでは、クラシックの曲のほかに「オペラ座の怪人」やブラジル音楽も演奏、第二部のコーラスはブラジル音楽が中心。知っている曲もあって楽しめた。「ここは設備も音響も素晴らしくて、世界にもひけを取らない施設」と聞いていた通り、音も雰囲気もよかった。クラシックのコンサートでは、音の広がりや豊かさを感じることができて、そういうのがまたブラジル音楽のライブとは違って気持ちいい。

8月25日(月)
先週処方してもらった抗ヒスタミン剤を午後飲む。「ちょーっと眠くなることがありますからねー」、とんでもない! 飲んですぐ、強烈な眠気とだる気。全く集中できなくなって、時々めまいも。今日は大学に行くのは無理。
帰ったら、とにかく起きていることがつらくてベッドへ。そのまま朝まで寝た。すごくちっちゃい錠剤なのにスゴイ効き目だ!!

8月26日(火)
昨日飲んだ薬がまだ効いている。昨日あれだけ寝たのに、今日も夕方近くまで頭がボーッとして体もだるかった。薬が自分にとって強すぎたこともあったけど、体調もそんなに良くなかったのだと思う。研修後、いったん部屋に戻ってから大学に行くつもりでいたけれど、今日は休むことにした。
荷造りだとか、もうそろそろ帰ることも考えないとなぁと部屋を見渡したら、本や雑誌、紙系のものがかなりたくさんある。かなり荷物を減らすか日本へ小包で送るかしないといけない。今から準備を始めてもよさそう。

8月31日(日)
チケットが余っているからと誘ってもらい、ヒサコさんと一緒に「NIHON ONGAKU SHUDAN」(日本音楽集団)のコンサートへ。筝、尺八、三味線、琵琶、太鼓、篠笛など、日本の伝統的な楽器で構成されたグループ。お客さんはやはり日系人の方が多かった。コンサートでは合い間にそれぞれの楽器についての紹介が。とても分かりやすくて、筝には13弦、17弦、21弦、弦の違う楽器があること、琵琶とシタールが同じ起源だとか、自分の知らないこともたくさんあって興味深かった。
「日本の冬」をテーマにしたオリジナル曲のあと、ブラジル音楽の演奏に。日本をいろいろ思い出して「もうすぐ帰るんだなー」とシミジミなっていたところに、『Aquarela do Brasil』やブラジル国歌がきて、ちょっとグッとくるものがあった。ゲストのWADAIKO SHOもすごい迫力だった。
最後は、私たち観客のほとんどが立ち上がって拍手。大盛り上がりで、アンコールは全部で2回(3回?)。演奏者の人たちも演奏後はとてもリラックスしていて、観客と演奏者、日本とブラジルの心が一つになったような気がした。今日も、本当に行ってよかったコンサート。終わったあとはとても温かい気持ちになった。
| ycuio | 過去の日記 | 03:25 | comments(2) | - | -
ある日の日記から(8月・その1)
8月2日(土)
午前中、研修のあと、夕方Forróの振替レッスンへ(教室に入ったとき、Matheusも「おー、ちゃんと来たなー」みたいな顔をして迎えてくれた)。レッスンのあとは、いったんLiberdadeまで戻ってインターネットカフェで明日の報告会の資料を揃えてから、ライブへ。今日はどんなミュージシャンかを特に調べずにチケットを買ったのだけど、あまり面白いと感じなくて途中で出た。
驚いたのは、前行った無料ライブのときにいた、ちょっとイタイ兄ちゃんがいたこと。一番前の席に座ってノリノリで、ときどきガッツポーズ。相変わらずヘンだった。この前と同じで、彼のすぐ後ろの席の人はやっぱり迷惑そうな顔をしていた。うーん、ああいう系の音楽のライブに行くときには気をつけないと。

8月3日(日)
ダンスのレッスンで一緒の、Jorgeの親戚のうちへ行く。前に「ファベーラに行ったことがある?」と聞かれて、ないと言ったら連れて行ってくれることに。興味本位でファベーラに行くのはイヤだったので、あまり気が進まなかったけれど…。危なくないのか聞いたけど、「周りは(自分を)警察だと思うから」(多分そんなだったはず)ということだった。Jorgeは普通よりもいい格好(“小金”を持っていそうな人の格好)をしているけれど、親戚はファベーラに住んでいる。親戚の人も見た感じ、そんなに良い身なり(服装)をしているとは思えなかったけれど、台所の棚も新しいもので、テレビや電子レンジなんかもそれなりのものが揃っていた。ファベーラに住んでいる人の中でもきっと生活レベルに差があるのだろう、あとは、最近は国民全体の生活レベルが上がっているということだから、ファベーラに住む人たちの生活も同じようにだんだん良くなっているということなのかもしれない。けど、彼らの暮らし向きが結局のところ、どんななのかがよく分からなかった。

8月6日(水)
Forró のレッスン。例のDaviは、今日は珍しく遅れてきた。前に彼と踊るのをボイコットしたけど、だからといって完全に無視するのは違う気がして、「別に気にしてませんよ。もう忘れました」という意味で自分から話しかけた。レッスンの最後にペアを組んだけど、でも彼と踊るのはやっぱりイライラする〜。
ステップが複雑になってきて身に付いていないのか、それとも最近レッスンをちょいちょい休んでいたからなのか、最近、新しいことを覚えて踊れるようになっているという実感があまりない。

8月8日(金)
今日は研修先から直接バスでライブに行くつもりでいたけど、やめた。最近は行きたいと思うライブすべてに行っていたけど、今日はちょっとやめてみた。

8月18日(月)
大学の授業がスタート(実際は、先週から始まっていたようだ)。大学横のエスフィーハの店を通ったら、ちょうどHideoがいたので一緒に食べる。自分の家の話になって県人会に住んでいると話すと、「昔、おじいちゃんがVila Carrãoの県人会で役員をしていたんだよ」。「沖縄県人会?」(←Vila Carrãoは沖縄出身の移民の方が多く住む地域)と聞くと、「分からない」。
「自分はジャポネースだけど全く日本語を話せない、日本に行ったときも英語で話していた」。「ニホンガッコウに通っていたけど、自分の小さい頃にお父さんやおじいちゃんが亡くなって、ニホンガッコウもやめてしまった。本当はジャポネースだったら、おじいちゃんからお父さん、そして自分へと日本語が受け継がれていくんだけど」と教えてくれた。
今日は、Andreaの「Cultura Ritimica e Expressão」という授業を聴講。前に聴講した授業のときと同じ仲間。前学期にみんなと一緒にダンスの発表をして、自分も“仲間の一人”になれた気がしたけど、その発表のあとの2回の授業に(ちょうど百周年関係のイベントの時期と重なって)出席できなかったのもあって、また“お客さん”に戻ってしまっていた。今回の授業では、学期の前半に理論の授業、後半にグループでダンスの発表をするらしい。でも、自分はその発表の前に帰国する。参加できなくて本当に残念!

8月19日(火)
今日は「ポルトガル語の表現」の授業を聴講。他の授業も見たかったので、すぐに出られるように出口近くの席に離れて座っていたら、Ricardoが「こっちに座ったら」と声をかけてグループに入れてくれた。
授業では、雑誌の記事がグループごとに渡されて、内容の要約とそれについての意見をグループごとに発表するというもの。テーマは、子供のしつけ、ブラジルの教育、あとは今やっているオリンピックの話題などいろいろだった。
先生のSuelyは話も上手で、「この国の教育はこういう部分が問題だよね」「ブラジルは、こういう部分を変えなきゃいけない」「子供のしつけって、こうあるべき」――、自分の指導の経験なんかを例に挙げながら、丁寧に説明していた。“私たちがこの国の教育を変えていこう”“私たちは子供を指導する立場にあるのだから”という感じで、まさに学生を“教え導く”教師。でもそれはすごく自然なかたちで、話だけでなく彼女の人柄もひきつけるのだと思う、誰も私語をせず熱心に彼女の話を聞いていた(私語が全くない静かな授業なんて、ここに来てから初めてだ!)
そのあとの学生の発言もかなり多くて、途中から授業がディスカッションに。学校の体育の授業、オリンピック選手の育成、子供のしつけの話では、「日本ではこうです」「自分はこう思います」と発言したい場面がたくさんあったけれど、全くできず。今日は本当に、自分の言葉の限界を感じた。
「ブラジルはこういうところを変えなくっちゃ」とみんなが議論していたのを聞いて、“自分はまだ本当のブラジルを知らないんだなぁ”と思った。自分は日本人で、悪い部分の「日本」だけでなく、良い部分の「日本」もよく知っている。今は、日本になくてブラジルにあるものがよく見えているだけなのだ、と。実際に生活したら(それか、もし自分がブラジル人だったら)また全然違ったブラジルの見方になるのだろう。
| ycuio | 過去の日記 | 02:47 | comments(0) | - | -
ある日の日記から(7月)
7月7日(月)
夜、日本人の友達2人とコーヒーを飲んで話す。睡眠不足で疲れていたこともあって、テンションも下がり気味。自分の話す内容がどうしてもマイナスな方向になってしまって、それがちょっとイヤだったけれど、それでもいろいろ話を聞いてもらった。

7月8日(火)
ポルトガル語のレッスン。今の学校でレッスンを始めて10ヶ月ぐらいになる。ここでは(特に文法中心に習っているわけではないのだけれど)「勉強してます」って感じでやっていて、でも先生とはお互いに慣れていることもあって、最近はのんびり気楽にやっている。そのゆっくりした時間が気持ちいいなぁと、今日ふと思った。レッスンがいい息抜きになっている。

7月9日(水)
Forróのレッスン。最初に、またリズム音痴のDaviとあたってしまった。同じステップしか踏まず、踊っていても全然楽しくないし、しかも彼が出すサインが分からず、自分が次にどう動けばいいのか分からない。イライラが積もっていたところに、Daviが「最近、踊りに出かけてる?」。全然と答えたら、「練習しに出かけないと」。“偉そうに!!”と思ったら、ものすごく腹が立ってきて、ガマンして無理して踊ることもないなと、次の曲になったとき、彼と一緒に踊るのをやめた。気分が悪いとMatheus とSamira(先生)に話して、見学することに。
見ているときも、Matheus が心配して「もう良くなったか?」「参加できるか?」「踊ろう」と何度も聞いてくる。多分、MatheusもSamiraも、私が彼と組むのがイヤだから踊るのをやめたと気づいている。途中戻ったときには、上手な人ばかりをペアにつけてくれた。あとで考えて、ずいぶん子供っぽい手を使ったなぁと恥ずかしくなったけど、でもイヤなものはイヤだし、こういうワガママも意外にアリだなと思った。
しかし、休んでいるときに、みんな「血圧が上がったの?」と聞いてきたのが実にブラジルらしいと思った。

7月11日(金)
明日は研修先で、今やっている医学辞典(編集・校正)についての会議がある。今日はそのための資料を一気に作った。
進捗状況はこれまで少しずつ報告してはいたけど、これまで自分がやっていたことを詳しく説明するのは明日がはじめて。二宮先生は明日、辞書がどのような状況になっているかを知る。今抱えている編集・校正上の問題はどういったものか、そして自分がこれまで校正をどのように進めていたか…。先生だけでなく他の人にも簡単に理解できるような分かりやすい内容で、といろいろ考えながら作ったけど、けっこう難しかった。明日はうまく言葉で説明できるだろうか、ちょっと心配。

7月12日(土)
会議の時間より少し早めに研修先へ。犬小屋に近づいたら、Bobが散歩に行けるものとカン違い。吠え出して止まらないので、散歩に連れて行くことに。
今日は天気もよくて気持ちのいい日。いつも通るルートがあるらしく、Bobに案内して行ってもらう(というか、引きずられる)。たったちょっとの距離だけど、いつもこうやって毎日外に出られるのを楽しみにしているんだな。Bobとの散歩は新鮮な体験だった。途中、大田さんと一緒に、運営委員のみなさんとお昼に出る(今日は理事・運営委員会で、運営委員のみなさんも来ていた)。
会議では、資料をもとに、今の状況を具体的な例を挙げて説明した。内容に関しては、校正している中で疑問が出た部分、自分で解決できない部分はすべてフセンをつけて示してある。その多さに先生は驚かれたのか、今からそのフセンはがしに取りかかりましょう、みんなで解決しましょう、となった。そのあと、みんなでLiberdadeに夕飯を食べに行った。とにかく今日は“濃い”一日だった。

7月13日(日)
午後、久しぶりにRenataから電話。彼女の大学の仲間が集まる夕食会に誘われた。日本食の食べ放題のレストラン。Renataの友達は日本人っぽい顔をした人も何人かいたけどみんな三世で、日本語を話せる人はいなかった。最初に、Renataがちょっとした自分の紹介をしてくれた。「良くないポル語も覚えた」と言ったらみんな面白がって、汚い言葉やスラングをたくさん教えてくれた(頼んでもないのに…。でもせっかくなのでメモした)。

みんなで写真。


7月24日(木)
SESC PompéiaのDiogo Nogueiraライブへ。Diogo Nogueiraは二世歌手で、最近“旬な人”らしい。ルックスも良くて、若い女の子にも人気。今日のチケットも早いうちに売り切れたようだった。
着いたときにはすでに始まっていて、会場は大混雑。後ろのほうにしかいられなくて、イスの上に立って観ていたら注意される。背が低いから見えないんだけど、と言ってもダメだった。一緒に立って観ていたオバちゃんと「なんで私たちだけ(注意するんだろうねー)」とブーブー言っていたら、それがきっかけで仲良くなり、あとは彼女たち(イカした黒人のオバちゃん6人グループだった)のそばで観る。
「彼は声がすごくイイのよねー」とオバちゃん。「うちに来てぇ〜」、かけ声もすごい(そして、ちょっと生々しい…)。途中、彼のお父さん João Nogueira(だったかな、確か)の映像がスクリーンに出たとき、「彼のお父さんもとてもいい歌手だったのよ」と教えてくれた。
ライブはノンストップのサンバ&パゴーヂで、周りは大合唱の踊りまくり。Choppiを飲みながら、彼女たちと一緒に踊る。最初は「サンバがうまく踊れたらいいのに」と思ったけど、自由きままに踊るオバちゃんたちを見ていたら、そんなの別にどうでもよくなった。
ライブは1時間半であっさり終了。最後、サヨナラを言うときに、今日この人たちと一緒にライブを楽しめたことが本当によかったと思えて、それを伝えようとしたら、感極まって涙が出てきてしまった。オバちゃんたちは「(一人で来ていたので)寂しかったのね」と抱きしめてくれたけれど、それともちょっと違う感覚だった。
あっという間だったけど、今日は本当に素敵なライブだった。

7月27日(日)
ダンスのレッスンで一緒の、Helgaのうちに遊びに行く。この前のレッスンのとき、Helgaのダンナさんが日系人だということが分かり、今日は姑さんとそのお友達(陸上仲間)が集まる年に一回のスキヤキパーティー。「姑さんのお友達は全員日系人で、日本のことを知りたがっているので、日本人のあなたが来たら絶対喜ぶ」、と。そこに招待してもらった。最初、Helgaが「彼女、日本人なのにForróを習っててオモシロイのよ」と私を紹介。……そんなに変かなぁ。
彼女の家はかなり大きくて、家中がランの花であふれ、光がいっぱいに差し込んで、すごく気持ちがいい空間だった。ダンナさんのお姉さんが設計・建築したとのこと(彼女はインテリアの本にも出ていたぐらいなので、たぶん有名な建築家なのだろう)。
カラオケの機械・テレビは、リビングとベランダに2台ずつ、数え切れないほどのCDやDVD。子供部屋も広くて一人ひとりにシャワーがついているし、家族一人ひとりのコンピューターが置かれているコンピュータールームもあった(「ボイラー室に住みたい」と言ったら笑われた)。
驚いたのは、レッスンでいつも一緒の明るいJenauraは、彼女のうちで働いているお手伝いさんだった。「ブラジルでは、お手伝いさんもこうやって普通に仲良く一緒にいる。そういうのっていいでしょ? 決して一緒のテーブルで食事はしないんだけれどね」と姑さん。スキヤキは、肉が焼肉用だった(←それもまたおいしかった)以外は、味もほとんど日本と変わらない。自分も味つけを手伝った。
食事のあとは、姑さんとお友達とカラオケ大会。「ぜひ歌って」と言われ、誰の曲を選んでいいか分からず、慌ててテレサ・テンを選曲(上手に歌えず不完全燃焼!)。姑さんのお友達、松島さんが帰るとき「あなたが感じがよかったから、私たちも楽しく過ごせた」と言って抱きしめてくれ、この前みたいにまた感激の涙。そのあとは、今度はHelgaの娘さんRenataと一緒にIvete Sangaloの曲をカラオケ。Helgaとダンナさん、Jenauraと3人で少しワインを飲んでしばらく話をしてから、県人会まで車で送ってもらった。
ワインとビールが効いて、部屋に着いたらそのままダウン。今日は温かい気持ちになった、にぎやかな一日だった。

7月28日(月)
連邦警察へ。外国人登録証は行くだけで簡単に切替え手続きができるのかと思って行ったら、この間のビザの更新並みの書類を揃えなくちゃいけないことが分かる。
対応してくれた係の人はものすごく横柄なオジさんだった。私が言葉を理解できないと分かると、ちょっとバカにした態度・顔で「理解できますか、セニョーラ?」とイヤミ。そのあと、必要書類を書いた紙をぶっきらぼうに渡された。いろんな外国人が来るからこんな応対になるのも仕方ないんだろうけど、ブラジルに来てからあんなイヤな感じのブラジル人に初めて出会った。
研修先から連邦警察まではバスでそんなに時間もかからないように思うのだけれど、往復するといつもすごく疲れる。久しぶりに風邪をひいたこともあって、今日は一日頭がボーッとしていた。

7月29日(火)
今日も連邦警察へ。以前、ビザの更新をしたときに窓口(別の窓口)にいた、眉毛の濃いオジさんが私のことを覚えてくれて「覚えてるよ」と合図してくれたのがうれしかった。
昨日の例の横柄なオジさんは、私が次の日にもう書類をそろえてきたので、少し驚いた顔をしていた。言葉が分からなくったって、日本人、やるときはやるんじゃい!
| ycuio | 過去の日記 | 03:57 | comments(0) | - | -
ある日の日記から(6月・その3)
6月15日(日)
Banda Bicho de Péライブへ。今日は会場全体がFesta Juninaのお祭りになっていて、屋台も出てイイ感じ。家族連れや恋人同士が多くて、あまり一人で来ている人はいない。初めて行く場所だったので誰かを誘って行くのは帰りが少し不安で、だから一人で来たけど、こんなことならみんなで来ればよかったと思った。
今日もわりと暖かい日だったけど、Vinho Quente(ホット・ワイン)を飲みながら聴く。ライブのあと、CDにサインをしてもらったとき、メンバーの人に「サイン以外に、何かメッセージを書いてほしい」とお願いした。励ましてもらうようなメッセージがほしかったのだけれど、「私を日本に連れて行って」。んん???? 何だかワケの分からないことになった。
帰りは、しっかりバスルートを調べなかったせいで、危険な場所へ降りてしまった。Centro近くで、しかも「ここにいたら明らかにまずい」というような場所。偶然、女の人が近くにいたので声をかけたら、彼女も慌てていて、ものすごく険しい顔で「ここにはいないほうがいい。早く出ないと」。そして「一緒にいよう」。たまたま、そこへ本当に運よくLiberdade行きのバスが来たので、2人で走って追いかけて飛び乗った。
バスの中では、彼女が興奮気味に運転手と話していた。はっきりと聴き取ることはできなかったけど、彼女も間違ってその場所に降りてしまったようで、どうしようかと考えている時に近くで叫び声がしてすごく怖かった、と。それを聞いて足がふるえた。バスで行くときには、何かあっても大丈夫なように、複数のルートを調べておかないと絶対にダメだと思った。

6月16日(月)
O seu Luizのスタンドでお昼。細かいお金を持っていなかったので、ツケにしてもらう。「明日払ってもいいかな?」と聞いたら、「もちろんだよ!」。したら、横にいたJoséが「じゃあ、俺も〜」。すかさずo seu Luizがカブせて「お前はダメ。だって信用がない」。そのタイミングが漫才みたいにあまりにも絶妙で、おなかを抱えて大笑い。
そのあと、銀行のATMで、黒人の男の人が「預け入れ(ができるATM)はどれ?」と横にいた女の人に質問していたのを見た。すぐ前に見えているのに変なことを聞くなぁ、大きく表示もあるのに。けど、ATMを出て、あの人は字が読めなかったのだと気づいて何とも言えない気持ちになった。

6月20日(金)
今日は夜、研修先の関係のカクテルパーティーに出席させていただく。会場で偶然、二宮先生のお母さんの法事のときにお会いした方と再会した。今回のこの百周年は、自分にとって特別なイベントなので、奮発して自腹を切ってビジネスクラスで来たとのこと。もう30年近くもブラジル関係のお仕事をしていて、その間には家事・子育ても両立してされていたそうだ。ご自身の経験から、「女性だとこの先、出産することもあるかもしれないだろうけど、そんなときも、細々とでもいいから、ブラジルとの関係は絶対に切れないように保っておいたほうがいいですよ」とアドバイスしてくださったのが印象に残った。

6月21日(土)
百周年式典を観に行く。08期研修生のみんなと一緒。カーニバルのときみたいにTietêの駅から無料でバスが出ているものと思っていたけど、普通のバス(有料)だった。バスの中は空気が悪くて、やや二日酔い気味だったのもあって、久しぶりにバス酔い…。
皇太子さま(そしてカサビ市長)の演説では、日系人の方の功績をたたえる言葉があったけど、一世の方はこれをどんな思いで聞いているんだろう。一世の方の中には、事前に申し込みをしたのに、今日の式典の入場チケットを手にできない人もいたようだ。自分がここにいていいのかなとも感じた。
そんな調子で、今日の式典はグッと入って観られなかったのが、自分でも少し残念だった。何であんなに客観的だったのかを後で考えてみたけれど、よく分からなかった。

会場の様子。このあと、お約束の“デジカメバッテリー切れ”。


6月23日(月)
藤村先生を囲む会。今日はOBの方がたくさん来ていた。去年は他のOBの方との話に夢中になっていて、藤村先生とほとんどお話しできなかったので、今回はいろいろ話を聞いてみることに。百周年関係のちょっとした裏話なんかも聞けておもしろかった。

6月24日(火)
ポルトガル語のレッスンのあと、SESC Av. Paulistaへ。着いて、今日が無料ライブの日だったと気づいた。演奏するのは、前に行こうとしてやめたPau Brasil。疲れていたけど観ていくことに。
ジャズっぽいのはあまり自分の好みではなかったので退屈してしまう。そのうち眠気がピークに。「もうダメだ、帰ろう」と思ったところで、曲がアップテンポなものに変わり、腐りかけていた脳ミソが復活、覚醒! そのあとは演奏も楽しめて、終わったときには「あー、観てよかった」と思えるほどになっていた。

6月25日(水)
疲れが続いていたので、今日はForróのレッスンを休もうかどうしようか考える。しばらく悩んで、やっぱり行くことに。
レッスン最初の「先週のおさらいダンス」のときに、何やら“ウ○チ”的な臭いが…。臭いは次第に広がって、Matheus(先生)もニガい顔。扇風機も回り始める。
そのあと、「みんな、言いたくても言えなかったよね〜」とMatheusが切り出して、なんかクサくねぇかということで“犯人探し”。“土曜の(百周年)式典のときに踏んだ馬フン(←騎馬隊のパレードがあったので、馬フンがすごかった)が今ごろ臭ってきたか?”とちょっとドキドキしたけど(まさか!)、犯人はJenaura。彼女が踏んだ犬のフンだった。
Jenauraはハジけたおばちゃんで、普段もいろいろオチャラけてみんなを笑わせている。今日もそのウン○のことで、彼女がオモシロオカシイ感じで話し、それについてMatheusが横でツッコミを入れて、みんな大笑いだった。何を言っているか、私はいまいちよく理解できなかった。なんとなくノリでは笑えたけど、でも悔しい!!

6月27日(金)
Chico Césarライブ。研修先前のバス停から直接向かう。バスの中でSESCまでの行き方を同じように聞いていた子がいて、バスを降りたあと、話しかけて会場まで一緒に行った。彼女の名前はRafaela。勇気を出して「一緒に観よう」と言ったら「もちろん!」。
あとから来たRafaelaの友達のJorgeは、パパイヤ鈴木似の中国系二世。3人でchoppiを飲みながら、一緒に踊ってライブを楽しむ。今日はForróとFrevoを中心に演奏するライブで、新しいアルバムに収録されている曲以外に、彼の過去のヒットソングらしい曲も何曲か。彼の曲は歌詞もメロディーも分かりやすくて、サビ部分は歌詞と音をひろって、みんなと一緒に歌えた。昨日ちょっとイヤなことがあったのと、2人と一緒にいる安心感もあって、今日はひたすら揺れて踊る踊る踊る!!
ライブのあとは3人でビールを飲みに行く。RafaelaとJorgeはライブやテアトロ、映画が好きで、車での会話はそういう話題が多かった。店では「最近どうよ〜」みたいな話から、Jorge が最近まで付き合っていた女の子の話、Rafaelaが今いっしょにいる女の子(彼女はレズビアンだった)の話へ。Rafaelaが「カノジョが待っているからもう帰る」となったところでオヒラキ。帰りは車で送ってもらった。
車の中でJorgeに「Rafaelaがレズビアンだって分かった?」と聞かれ、ううんと答えると「だよね。僕も分からなかった。全然そう見えない」。そのあと「ブラジルでは世界最大のゲイ・パレードがあるけど、まだブラジルの人の多くは(彼らを)受け入れてないよね?」と聞いてみた。「(僕は)他の人は受け入れるよ。だけど、自分の家族(の中で)はダメ。そういう人が多いよ」、そんなような答えだったと思う。ブラジルでは人をジロジロ見ることにあまり抵抗がない分、彼らに対する好奇や嘲笑の目もするどいように思う。そういうことも話したかったけど、うまく言葉で説明できなかったので言うのをやめた。
最後に、Jorgeが「僕らのことはもちろん信用していいけれど、中には悪いヤツもいる。君は外国人だから気をつけて」と忠告してくれた。



Frevoを踊る少女。Jorgeいわく、「プロ並みに上手」。


6月29日(日)
夜はSESC ItaqueraのLô Borgesライブへ。今日もFesta Juninaのお祭りになっていた。屋台もたくさん(こういうときに限って、いつもカメラを持っていない…)。「Lô Borgesはギターが下手」と前に友達が言っていたけど、歌もあまり上手じゃなかった…。Festa Juninaなのになぜミナスの音楽?とも思ったけど、でものんびりした会場の雰囲気と彼の歌が合っていてリラックス。Vinho Quenteもおいしくて、イイ気分でItaqueraからMetrôに乗る。日曜の夜で電車の中もすいていて、ゆったり帰った。

6月30日(月)
ときどき研修先にやって来る、配達のおじさん。犬が苦手で、Bobにすら怖くて近づこうとしない。今日は「前にかまれたことがあってさ」「トラウマなんだね」という話をしていて、過去に2回目も犬にかまれたことが分かる(以前にも同じようなことを話していたように思うけど、そのときは言っていることが全く理解できなかった)。
そのおじさんは、トムとジェリーのアニメとかに出てくるような、いかにも“犬にかみつかれそうな”キャラ。「2回もかよ!」と思ったところに、「一回目は手、二回目は足」と聞いておかしくて、“気の毒”という意味で笑ったのだけれど、うまい単語が出てこなくて「すごいオカシイ(滑稽?)」と言って大笑いしてしまった。あとで、Tainahが言っていた「かわいそうにねぇ」という単語を使えばよかったんだなぁと反省。すごい笑っちゃってゴメンね、とフォローしたけど、きっと“悪魔”と思われたな…。
| ycuio | 過去の日記 | 00:56 | comments(0) | - | -
ある日の日記から(6月・その2)
6月9日(月)
研修後、大学へ。ダンスの発表は木曜日と思っていたら今日だった(木曜は一般のソト向けの発表で、今日は授業の成績がつく発表だった)。Hideoと話したら、今日発表で用意するものだとかを昨日私にメールで送ったのだけど戻ってきてしまった、とのこと。
今日の衣装はサッカーのユニフォーム。自分は練習もしていないし、何も持ってきてないので、今さら参加するのは無理だなぁーと、あっさりアキラメ。みんなには「一緒に参加したいけど、練習してないから難しいと思う。残念ー」と話して、Andréa先生には今日は参加せずに見るだけにすると話して、見学にまわるつもりでいたら、Alineが余っていたユニフォームを貸してくれた。断りきれず、とりあえず着替えることに。
着てみたら自分の気持ちが変わって、ただユニフォームだけ着てその場所に突っ立っているだけじゃイヤだな、と。Neivaに「私、参加できるかなぁ」と聞いたら、「(子供たちと手をつないでコートに入る)ラストの部分はできるよ。私と一緒にやろう」――。最初の段階で簡単にあきらめようとした自分を恥ずかしく思ったけど、でも同時に、たくさんの仲間に“一緒に参加したい気持ち”を伝えていたのがよかったんだ、と思った。
私たちのグループはSkankの曲に合わせた、サッカーをテーマにしたダンス。自分の知らないうちに、いつのまにかメンバーが増えていて、そこにはMichaelたちの姿が。前に「とりあえず2つのグループに登録しておいて、(最終的に)出来のいいほうに入ろうぜ」みたいなことをヒソヒソ話していたっけ。
私たちのほかに、グループは2組。一つはカポエラを発表したグループ、もう1組は、白と黒で“善”と“悪”を表現して踊ったグループで、とくに彼らのダンスは素晴らしかった。一人の主人公が悪の道に引き込まれそうになりドラッグや銃の誘惑と必死に闘う――、そしてそれらすべてを取り払った闘いのあと…。ここがブラジルという国というのもあるのかもしれないけど、彼らの伝えたいという思いがストレートに入ってきて、感動して涙が出そうになった。
ダンスは動きが揃っていない、完成度の点で言ったらイマイチだったかもしれない。でも彼らのダンスには、観ている人の心を動かすものが確かにあった。私たちのグループも動きはバラバラ、だけどみんな楽しんで踊っていた。
いくら美しく踊ったところで、何を表現したいか、伝えたいのかがなければ、そして観ている側にそれが伝わらなければ意味がないんだな、と。ダンスは自分の思いや伝えたいことを踊りの中で表現できる。素敵だなと思った。
「聴講生で日本人」ということで、これまで大学では、自分は何となく“お客さん”だったように思う。周りがそう扱うというだけでなく、自分の心持ちもそうだった。でも今日発表に参加できたことで、はじめて学生の一人になれた気がした。

カポエラ&サッカーをテーマに発表したグループ。


6月10日(火)
最近のPaulista線の朝のラッシュはすごい。「あなたが来てすぐの頃は、電車もすいていたでしょ」と前に言われたことがあったけど、思い返してみると確かに、去年の今ごろは朝の時間帯でも席にもかなりの余裕があってガラガラだった。でも今は、日本とそれほど変わらない混雑。
今日はParaísoの駅で、乗るときに、女の人2人と男の人がケンカになっていた。女の人はいかにも“稼いでます”風のOL2人組、男の人はあんまりお金を持ってなさそうな感じだった。「危ないじゃないのーぉっ!」、女2人なので強気。でも、男の人も負けずに文句を言っていて、途中、女性の1人が降りて一人だけになっても、まだ彼は言い返し続けていた。(しつこいなぁ、もういいじゃん) 彼女もツーンとすまして、いっさい取り合わず。あとで何があったのかを少し尋ねたら、男の人が無理やり割り込んできて、しかも彼女たちの後ろからグイグイ押したということだった。
最近の新聞で「サンパウロの地下鉄は東京より混雑している」というような記事を見た(本当なのかどうかは分からないけど…)。地下鉄は拡張していて、今も駅が増えている。今後は新しい路線もできるようだから、数年先はもっとラッシュが深刻になるのかもしれない。

6月12日(木)
ダンスの発表の日。リハーサルがあるかもしれないと思って、今日は研修が終わってすぐに研修先を出た。途中、Shopping Metrô Tatuapéのサッカーショップでユニフォームを見る。また貸してもらえばいいかなと思ったけど、せっかくだし記念と思って買うことに。Ponte Pretaのユニフォームがほしかったけどさすがに無く、セレソンのだったらまたどこかで着る機会があるかもと、ブラジル代表のを購入(最新モデルらしい)。値段が高くてビックリした。
着いてすぐ体育館へ行ったけど、今日は特にリハーサルはなかった。近くの店で軽く食事を済ませて戻ったら、“女子”たちはみんなトイレで念入りに準備をしていた(といっても、着替えと化粧)。みっちり化粧をして、髪もおそろいに編み込んで気合いバリバリ。足をきれいに見せるため、ズボンの下にストッキングも履く徹底ぶり。
自分は、今日は化粧をしていなくて、化粧道具も特に持ってこなかった。まぁスッピンでいいかと思ったのだけど、みんなとの落差があまりに激しく、口紅を貸してもらって、厚めにアイメイクしてもらう。髪の編み込みも最初はいいやと思ったけど、今日はみんなと一緒がいいかなと思って、結局やってもらった。さらに、一緒に参加する子供たちとおそろいでフェイスペイントも。
着替えのとき、ビックリするぐらいに足のクサい子がいて、その臭いがトイレ中に充満して大騒ぎになった。香水を振りまいて臭い消し。ブラジルのキツめの香水もかき消えるほどのキョーレツさで、香水を2度まかなくてはいけないほどだった(彼女の足が臭かったのではなくて、ダンナさんのサッカーシューズを借りたみたいだったので多分それが臭ったのだと思うが…。それにしてもひどかった)。みんな「服が湿っていたから(クサかったん)だね」と言っていたけど、服が湿っただけでは、あんな鼻が曲がりそうなほどの臭いはしないよ。あれは絶対、“足”だ!
Neivaの持ってきたカシャーサを気付けにみんなで飲んで、スタンバイ。実際の発表は月曜より動きも良くて、ずっといい出来だった。今日は体育学部のイベントで、私たちのクラス以外に他の学生何組かも発表をしていた。他に招待として、地元の合気道やテコンドー、空手の団体などなど。
私たちのグループの発表は20時半からと言われていたのが、実際始まったのは21時半すぎ。発表時間は5分と言われていたけど、それを知らなかった(無視した!?)グループが多くて、そのために時間が大幅に押した。この前のバスのことがあったし、あまり遅くなると怖いなーと思いながら、でも絶対に最後まで見たくて、時間を気にしながら見た。最後の“白と黒のグループ”が発表したのは23時近く。彼らの発表の時にはほとんどの人が帰っていて、彼らのダンスはできるだけ多くの人に見てもらいたかったから少し残念だった。
Séの駅で、一緒に帰ったCarlosにtchauを言って、「あー、今日は楽しかったなー」と満足しながら乗り換え。電車の中でやたらみんなにジロジロ見られ、そのときようやくフェイスペイントを落とし忘れていたことに気がついた。

一緒に発表に参加した子供たち。ほとんどが同級生の子供や親戚でした。


Neivaとのツーショット。


6月13日(金)
授業の前に教務課へ。MônicaとWalterと顔を合わせた瞬間、昨日の出来事を思い出して3人とも吹き出す。昨日、用務員さん(?)(名前は確かMarcosだったっけ)に、MônicaとWalterと私、3人の写真を撮ってもらうようお願いしたのだけれど、みんなでいくら説明しても、何度やってもシャッターがうまく切れなかった。で、さんざん時間をかけてやっと撮れた一枚が、首から上が切れた写真だった。それがあまりにおかしくて、昨日はみんなで死ぬほど笑った。
昨日の写真を見せたら、「(こんな写真)誰もいらないよー」と、またWalterがヒャヒャヒャヒャ笑い始める。昨日と同じように、この人、呼吸困難で死んでしまうんじゃないか?ぐらい苦しそうに笑っていた。その笑い方があまりにもバカ笑いすぎて、私とMônicaもつられ笑い。笑いがおさまったところで写真を見せたら、Walterがまたツボに入る。外からの電話を受けなきゃいけないときにも、必死に笑いをこらえて話していた。Walterはかなりのゲラだ。

これが、その“誰もいらねぇよ”写真。
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ある日の日記から(6月・その1)
6月6日(金)
来週木曜に「Rítimica」の授業でダンスの発表がある。けど、先週は連絡の行き違いがあったりして、そのための練習に全く参加できていない。でも、自分から相手に働きかけない限りは、多分“参加する気がない”ってなっちゃうんだろうなぁと思い、とにかく練習に参加したい、みんなと一緒に参加したい、という気持ちがあることだけは伝えることにした。グループのリーダーになっているHideoにメールして、もしこの週末に練習があるなら知らせてほしいと書いた。

6月7日(土)
一人でLulu Santosのライブへ。早めに着いてのんびりコーヒーを飲んで、そろそろ始まるかなというときになって、違うチケットを持ってきたことに気づいて愕然!! もちろん、往復タクシーを使って戻るほどのお金も(勇気も)ない。行きはバスで戻って、帰りは時間がなくて仕方なくタクシーを使った。会場に戻ったときには既にライブが始まっていてショック…。
この前のRioでのライブのときと違って、今日はいかにもshowという感じの雰囲気。今回は奮発していい席を取った。予約が早かったので、一番前のどまん中の席。お金さえ払えば、研修生であってもこういう席に座れる。一番いい席だったのに、でも、目の前で観られる嬉しい気持ちには全然ならなくて、何だか言いようもない複雑な気持ちになったのが自分でも意外だった。
ショーの最初のうちは、彼の腕のタトゥーが気になって仕方なかった。タトゥーは右腕に「愛」、左腕に「家族」。……。気持ちは分かるが、何だかビミョ−だ。しかも、よく見たら「族」の字が間違っていた(それか中国の漢字だったのか!?)。
パワフルにぶっとおしで歌い続けるLulu。メチャクチャかっこよかった。アンコールでは、前学期に大学の授業で覚えた曲「Fico assim sem você」が。あとで調べたら、別に彼の作曲でもなかった。なんで歌ったんだろう。
「多分、彼のライブは、今日のが今回最後になるんだろうなぁ」と思ったら、曲のすべてが切なく聞こえた。こんなにせつないメロディーばかりだったかな。途中、Luluが投げたギターのピックが自分のいたテーブルの上に乗って、でもすぐに跳ね返ってどこかに飛んで行ってしまった。それを記念に持って帰りたくて、終わってから同じテーブル席の人たちと探したのだけれど、いくら探しても見つからなかった。

6月8日(日)
夜はAna Carolinaのライブ。一緒のテーブル席になったオジさんに「ホテルからの差し入れだから、ここにあるものは自由に飲んでいいよ」と缶ビールを1本もらう。他にいた人たちも、彼から飲み物をもらっていたようだった。ホテルからライブ会場へお酒の差し入れが届くなんて、いったいどんな人なんだ!? 英語を話していたので外国人だったと思うけど、有名なミュージシャンだったのかな。
舞台は、昨日のライブよりもずっと派手でゴージャスな造り。年齢層も若い人から年配の人まで幅広め。女性が多いかと思っていたら男性もけっこういた。歌だけでなく、ピアノもギターもパンデイロも弾く多才なAna。“タカラヅカ”を彷彿させる、異常なぐらいの“女子”の絶叫が面白かった。LindoooooとかGostooooossoooとかTe aaaaamoooo----とか。

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ある日の日記から(5月・その3)
5月18日(日)
Martinho da Vilaのライブへ。終わりがけに着替えと休憩があって(というか、本人が勝手に引っ込んだ)、パンデイロをやっていた男の人がかわりに歌うことになった。ゆっくりめのSambaが続いていて、それが退屈で少しウトウトしていたけど一気に目が覚める!! お客さんをうまく巻き込んでノセて、楽しそうに歌う彼。声もいいし、すごく気に入った!

これがその彼。


主役はこちら。


5月19日(月)
大学へ行ったら、門のところにAndréa(先生)が。今日は1コマ目だけで、次の授業はもうないよと言われてしまう。「えー、知らなかったー」と言ったら、「私もだよ」。教務課で「先々週は(休日前で)授業がないのを知らなかった。先週はパーティーがあるって忘れてて遅く来た。そして、今日もまた授業がないのを知らなかった。私、すっごくかわいそうじゃない?」と話したらWalterはお腹をかかえて笑ったけど、Mônicaにはそんなことないよとマトモに返された。“自虐ネタ”はあまりウケないのかな。
来月の発表の準備や練習について同じグループの学生に聞くために、次の授業の時間まで待って、彼らが授業を受けている教室へ。まったく理解できない難しい授業だったけど、ついでだったし見学して行くことにした。授業では「走っているときと歩いているときの動きの違い」、筋肉や関節の動きはどう異なるのかなど、先生から出された課題についてグループで考えて、それを用紙に書き出していた。Celsoは厳しい先生らしく、また授業時間内に仕上げなくてはいけないのとで、みんな真剣。そんな中でも、教室にあったガイコツを“カノジョ設定”にしてフザけてたお茶目な(頭のオカシイ、か?)学生が。抱き寄せ方とかキスの仕方(デリケートな感じ!?)だとか、そのときの彼とガイコツとの絵ヅラがあまりにおかしくて、帰りのMetrôの中で何度も思い出し笑いした。

5月24日(土)
今日の夜の予約を午前中に変更してもらいに、直接美容院へ行く。以前担当してくれたRobertaがまだ来ていないので1時間後にと言われ、それまで近くで買い物して時間をつぶすことにした。
スーパーへ向かう途中、マンションの建設現場を通る。いくらぐらいするんだろう、どんな部屋なんだろうなぁと思ってボケーッと眺めていたら、作業員(?)のCláudioが日本語で挨拶して話しかけてきた。しばらくしゃべったあと「中に入ってもいいか」聞いたらOK。すごい音を立ててバリバリ建設中なのにモデルルームもやっていて、でもヘルメットはもちろんナシ♪ こんなところで死んだらシャレにならんなと思いながら階段を上った。
部屋は想像したよりも狭かった。お手伝いさん部屋もなく、でも家族も少なくて普通の暮らしをするんだったら、これぐらいの広さがシンプルでラクだ。部屋は4分の3が販売済。販売会社の女の人は日系の人で、デカセギで7回も日本に行ったことがあるらしく日本語も少し話せた。彼女とはかなり長く話をしたように思う。出るときにパンフレットをもらって見たら、HOSS建設が建てていることが分かってビックリした。

5月25日(日)
交流協会とだるま塾の山登り。いざ車で出発!というとき、1台の車が道をふさいでいて通れない。反対側の道にはFeiraの人たちの箱が置いてある。そんなに箱が多くなかったのと、お店の人たちも見た感じ、そんなに悪そうな人たちでもなさそうだったので、箱をどけて車を通らせてもらえないか頼んでみることにした。やっぱりいい人たちで、最初は一人が中心になって、彼が、箱を置いていた他の人たちに声をかけて箱をどかして…というようにしてくれた。野次馬もだんだん集まってきて、その中の一人が「どこへ行くんだ」(←どの道を通って出ればいいのかを教えたかったみたい)。「LAPA」と答えたら「おーぅ、LAPAは危ないんじゃないのかい」と冗談で言われた。あとで、あのときどうやって返せば面白かったかを考えていて、「私たちこれからアサウト(強盗)に行くんだよ」と言えばよかったと思った。(別におもしろくもないか…)
山登りが終わったあとは、だるま塾で恒例の飲み会。帰りは車でParaísoの駅まで送ってもらって、そこから一人でAv. Paulistaに出て、ゲイ・パレードが終わったあとの様子を見に行った。途中、三人組がホールドアップされて所持品チェックを受けていたので、とりあえず急いでその場を去る。ゴミ拾いの人も普段より大勢。そうだよな、確かに今日は稼ぎ時だよな。その集めたゴミを持ってMetrôに乗って帰っていく人もいた。

5月26日(月)
研修後、大学へ。来月に発表があるのに、誰もそのための準備をしていないことにAndréa(先生)が爆発。発表する音楽はもう決めたわけ? 音楽を決めるために、先週みんなCDは持ってきた? 誰も持ってこなかったよね? この土日、誰か練習をした? 私には関係ないのよ。重要なことじゃないんだよ。困るのはあなたたちなんだよ! 怒りながらもAndréaは目に涙をためていた。先生に貸すためにCDを渡しに行ったら、彼女は喜んでくれたけど、そのとき「日本では、こんなことってないよね…?」と悲しそうな顔で聞かれた。「そうだね。先生が『この日までにやりなさい』って言ったら、多くの学生は準備しますね」と答えた。うまく言葉で伝わったかどうかは分からないけど、そう答えたかった。

5月28日(水)
今日はこれまでにないほどランチをガッついた(研修先近くの店はもともと値段が高いけど、ポルキロで食べ物だけで15レアル分取って、飲み物入れて20レアル近くになった)。しかもあとでノドがかわいて、おやつ(?)にファンタを一気飲み。昨日しっかり寝たのに午後すごく眠くて、関節がだるくなるほどだった。台所(給湯室)でBoniに話したら「飲みすぎでしょ」(日本語)とバッサリ。
研修後はForróのレッスン。久しぶりに、いつもの水曜クラスに出席した。今日初めて気がついたのだけれど、レッスンを受けている教室は、思いっきり“アスベスト”な場所だった。しかも、フワフワしたやつがメチャクチャたくさん吹き付けられている。はがれかかっているものも多くあって、それが扇風機の風でゆらゆら揺れている!! ビックリ仰天。

5月29日(木)
今日印象に残ったアドバイス。「もう少し自分にフランクになりなさい」。確かに、私に今一番必要なことかもしれない。ブラジルにいる今、自分自身に対してどんどん融通がきかなくなっているような気がするので。

5月30日(金)
研修先で「先週はどこか旅行へ行った?」と聞かれ「旅行してない」と答えると、「もっと旅行しなくっちゃ」と言われる。またかぁ…。忙しいから休みをとれないんでいるんだと思われている。別に、旅行したいのに我慢したり遠慮したりしているわけでもないんだけどなぁ…。休暇も、ある程度メドがついたところで取らないと気分的にも楽しめない。それに、今回日本に帰ったあとだって、また旅行でもこちらには来られるし、これが最後のブラジルじゃない。そこを何度も説明するんだけど、なかなか理解してもらえない。
大学の授業では、キューバ・グッディングJr.の「僕はラジオ」という映画を観る。とくにクライマックスというわけではない場面でも感動して涙を流している人がいて、中には涙を隠して途中で席を立つ人も。それも男の人が多かった。映画が終わったあとで「おーおー泣いてんじゃねーぞ」と冷やかしていた学生がいて、どこにでもこんな奴はいて同じようなセリフを言うんだなと思ったらおかしかった。自分が着いたときはすでに半分ぐらい終わっていて、ポル語も分からないので、日本に帰ったあとブラジルのことを思い出しながらゆっくり観ようと思った。
授業の最後、大学の担当者が来てプリントをみんなに配って何か説明をしていた。何があったのかを先生に聞いたら、先週、授業がなかったかわりに宿題が出ていて、だけどそのことを知らされなかった人が多くいたそうで、学生からクレームが出たらしい。その事情説明だった。
| ycuio | 過去の日記 | 00:54 | comments(0) | - | -
ある日の日記から(5月・その2)
5月10日(土)
レポートの仕上げ。いつもと違って、ほぼ完成していたので楽だった。夜、インターネットカフェでプリントアウトとコピー。家に戻って、部屋でコピーのホチキス綴じをしようとしたら、同じページが複数コピーされているではないかっ!! 急いで戻ったのだけど、コピーしてくれた受付の女性はホケーッとしてて、どれがダブっていてどれをコピーすればいいのかを聞いてくる。「いくら分からない文字が並んでたって、そんなの、原稿を見りゃどのページが足りないぐらい分かるじゃんー!」と思ったけど、ここは日本じゃないしガマンガマン(でも、自分の笑い顔が引きつっているのがよく分かった)。最後に店を出るとき、ボソッと彼女が「ごめんね」を言った。

5月13日(火)
お昼のあと、近くの教会Nossa Senhora de Fátimaへ。今日はちょっとした屋台が出てフェスタがあった。バカリャウのコロッケを食べて、HenriqueはQuentãoを、Fláviaと私はホットワインを飲んだ。ちょっと前のように寒かったら体が温まってよかったのに、今日は暖かい日で残念。
食べているときに、日本語で話していたら、Fláviaが「ポルトガル語で話さないと」。冗談で「厳しい先生(Professora rigorosa)だねぇー」と言おうとして、間違えて「おかしな先生(Professora ridícula―)!」と言ってしまった。事務所に帰って、辞書で確認してビックリ。

5月14日(水)
研修後、まっすぐ家へ帰る。今日はForróのダンスのレッスン、でも時間まで家で休んでから行くことにした。疲れていたので少しベッドで横になる。ちょっとだけ寝るつもりが、目覚ましのアラームを間違えてセットしてしまい、起きたら22時すぎ!! 風邪をひいても、どんなことがあってもダンスのレッスンにだけは行くようにしていたのに…。かなりショック。

5月15日(木)
Exaltasambaのライブへ。バスのルートは調べたけど、途中、急に周りが暗くなって人通りも途絶えたので少し緊張した。特に迷うこともなく、なんとか無事会場へ到着。パゴーヂだけにモレーノ率も高く、会場もキャーキャー女の子の歓声だらけ。だけど、年齢層は少し高め。一人だったけど、前に座っていた女の人も一人で来ていて少しホッとした。ただ、私の席は隣が空いていた。いかにも「私フラレまして、今日は一人で参りました」みたいなテイだ…! それがちょっとイヤだった。
Exaltasambaは、いる間にどうしても行きたかったショーのひとつだった。今日のライブは初めから終わりまで、みんなそろって両手を広げて揺れ、踊って歌っての“歌声ショー”。私もデタラメに適当に歌って楽しんだ。でも、こういう系の音楽は誰かと一緒だったらもっと楽しいはず。次は誰かブラジル人の人を誘おう。

相変わらずボケた写真。



5月16日(金)
2コマ目の授業に出るつもりで、21時すぎに大学へ。行ったら門が閉まっていた。「またやっちゃったよー」とガックリ。そしたら警備員が「体育館に行きな。今日はパーティーだよ」。そのとき、Hilda先生が金曜は19時からダンスパーティーがあるよと言っていたのを思い出した。去年と同じようなパーティーらしいけど、去年はかかっていたのが60・70年代のアメリカ音楽であんまり楽しめなかったんだよな。
体育館へ行ったらほとんどの学生が帰るところで、残っていたのは先生たち数人と20人ぐらいの学生。食事はエスフィーハ何種類かとコーラ、ガラナが用意されていた。ステージでは生バンドが演奏していて、アメリカの音楽ではなくブラジル音楽をジャカジャカ演奏している!!(しかも素人バンドのレベルを超えてかなり上手だった)
踊っていたのは全員体育学科の学生で、いつも顔を合わせている彼らに交じって一緒に踊った。ほとんどの学生がオリジナルの“あほダンス”を考えてみんなで競い合っていて、でもさすがにそこまではハジケられず(女性は2人だった)、自分は体を揺らして普通に踊るだけ。それでも十分楽しかった。
ダンスが終わったあと、近くのbarでビールを飲みに行く。帰りのバスが心配になって、着いてすぐだったけど帰ることにした(といっても23時をまわっていたと思う)。一緒に飲んでいたPelêが、車で帰る友達に声をかけて途中まで私を送るよう頼んでくれた。「こいつは信頼できる奴だから安心して」。
確かにその人は親切な人だったのだけれど、どこか途中の駅まで送ってくれるのかと思ったら、理解不足の私の完全な勘違いで、“どこか途中の地下鉄の駅かターミナルまで行くバスのバス停まで送る”という意味だった。……。
人けもあまりない、もちろん自分は全く知らない場所で降ろされてバスを待つことに。しばらくして来たのはSé行きのバスだった。……。この時間帯にセントロへ行くのはマズイと思って焦ったけど、ほかに方法が見つからない。近くにはVila Madalena駅行きのバスも走っていたけど、それに乗ったとしても、駅に着いたころには終電がなくなっているかもしれないし、それにバスのルートや夜中Vila Madalenaの駅の周りがどんな様子かも知らない…。仕方なくこのSé行きのバスに乗ることにした。
このバスは、自分が普段、人の車の中からでも目にしたことがないような、すごい場所を通って走った。いつバスが襲われてもおかしくないような治安の悪そうな物騒な道だけではなく、人も歩けないほどの街灯が一切ない道もあった。道を走っているのはバスか輸送トラックだけで、乗用車の姿は全くない。歩いている人も明らかに普通じゃない3人組の若者とか…。
一人、また一人と次第に降りていって、乗客は私ただ一人。窓から他のバスの乗客を見ても、私だけ肌の色が違う。自分は完全に周りから浮き上がっていて、他のバスからも姿を見られないように体を隠した。
Séに着いてバス停に人がいっぱいいたけど、そのホッとしたのもつかの間。広場にたくさん人がいて、でも誰がマトモで誰が怪しいのか、人が散らばりすぎていて全く分からない。それがなんとも言えず不気味で怖かった。
夜でよく周りが見えなかったのか、それとも自分が焦っていたのか、前にも何度か使ったことがある入口までの道が思い出せない。怖い思いを振り切りたいのもあって猛烈ダッシュで入口らしきところまで近づいたけど、その入口は閉まっていて、すぐ傍には浮浪者の子供が大勢(急いで走ってUターンしたとき、その子供たちが背後から自分に何か言葉を浴びせているのに気づいた)。
幸い、走っている間に駅の様子がつかめて別の入口を発見。周りを見ると、ブラジル人ですらも小走りで入っていく。改札に入って「これで少しは安全が確保されたんだ」と思ったら、少し力が抜けてしまった。
家に着いてドッと疲れが出る。しばらくドキドキも止まらなかった。
| ycuio | 過去の日記 | 00:37 | comments(2) | - | -
ある日の日記から(5月・その1)
5月2日(金)
まだ風邪が治らないので、今日は研修後、大学を休むつもりでまっすぐ帰る。家に着いたあとで気が変わり、2コマ目の授業に出席することにした。行きのバスの中では、珍しくレゲエがかかっていて(いつもは大体、サンバやパゴーヂ)聴いたことがない感じのレゲエだったので、「誰が歌っているの?」とコブラドールのお兄ちゃんに質問。Tribo de Jahだった。
「かっこいいね。気に入った!」と言ったら「いいだろ、リラックスするよね」と喜んでいた。今日のバスは人が少なくてかかっていた音楽もよかったなぁと、ご機嫌でバス停を降りる。大学の前まで来たら、門が閉まっていて真っ暗。今日は休日前で授業は休みだった。Caramba!! 

5月4日(日)
風邪がまだ治っていないのに今週は無理していろいろなところへ出かけたので、今日は休養の日。部屋でゆっくり休んだ(といっても、県人会の中ではしっかり深夜までカラオケ大会があったけど…!)。

5月5日(月)
Shopping Anária Franco(ショッピングセンター)へ。大学へ行くときいつも使っているTatuapéの駅から別のバスに乗って。バス停はショッピング裏手にあって、バス停からは地下の駐車場を通って建物の中に入るらしい。駐車場の入口には警備員がいたけど車以外の人は出入り自由っぽいし、また夜だったこともあって、駐車場を通るとき少し緊張した。店の中をざっと見て、帰ろうと出口を探したのだけれど、いくら歩いても出口が見つからない。そんなバカなっ!!
でも「出口どこですか」「どうやって出ればいいんですか」なんて、そんな質問するのもちょっと恥ずかしい。しばらく探したけど結局分からず。時間も遅かったので、入ったときと同じに駐車場を通って出た。出口を見つけられないなんてあり得ない…と思ったけど、そんな信じられないことが本当に起きた!

5月6日(火)
ポルトガル語のレッスン。覚えたことや習ったことを忘れているわけではないのだけど、最近またポル語が退化している(というよりは、伸びが止まっている)ように思う。前に比べて、“相手の言うことが分かるようになっている”という手ごたえもあまりない。ただ、複雑なことを説明するのであれば、自分が知っている簡単な言葉を組み合わせて何とか言うこともできるようになったし、あとは、ちょっとした話だったらその場のノリで話すとか、そういう変なテクニックも身についてきた。だけれど、まだ何を言っているか聴き取れないことも多い。
これまでの感じでは、言葉が上達したなという実感は大体3〜4ヶ月周期でやってきて、その間には必ず停滞しているように見える時期がある。だから今回もその谷間なのかもしれない。まぁ、でも一年ちょっとでは大した上達は見込めないのかも。

5月7日(水)
「ドルとレアル」についてのレポートで、知り合い(お友達?)の社長さんに話を聞くため、お昼ごろ研修先を抜ける。インターネットと本とで、ある程度レポートは仕上がっていたけど、まだ聞き取りを全くしていなかった。会社の資料も見せて説明してもらい「ブラジル経済データ」の資料も貸してもらう。2005年の古いものだったので「新しいのないですか?」と聞いたら、最新のものを買うことになり、ついでに話を聞いてくるといいからと、そのあと発行元のJAPAN DESKへ行くことになった。JAPAN DESKでも、ブラジル経済の基本を中心にお話を伺うことができた。経済についてはあまりよく分からないと話したので、お二人とも分かりやすく解説してくださった。研修先に戻って研修後、レポートを書いていたら、先生が外出先から戻る。今の校正の進捗状況について少し報告をした。

5月8日(木)
昨日から右目が赤く目やにも多く出ているけど、今日は左目のほうも少し赤くなっていた。夕方、一度病院へ行って診てもらったほうがいいと、Tatianaがすぐ予約の電話を入れてくれた。親戚に眼科の先生がいて、そこの診療所にかかることに。
研修を少し早退して、夕方Santa Cruzへ。いくつか検査もした(視力検査で出てくる記号はアルファベットだった。⊂⊃∪∩の形で読ませるのは日本だけ…?)。診察はポル語だけだったけど、ゆっくり丁寧に説明してくれたので問題はなく、入院した前のときと違って私も今日は辞書を持っていたので大丈夫だった。原因は結膜炎ではなく、コンタクトレンズによる炎症。月曜日の再診のときまで目薬を使って、それで治らなかったら他の原因を考えなくてはいけないと言われた。コンタクトレンズは1ヶ月間禁止(これが一番キツイ)。あー、今日もいっぱい医学用語のポル語がでてきたなぁ。
夜はDominguinhosのライブ。平日の木曜なので空席が目立つ(初日なのにお客さんがあまり入っていなかったことをジョークにしていた)。この人は“フォホーのおじさん”だと思っていたけど、ほかにショーロもやった。MC中、しゃべっている途中で合図もなしにいきなり勝手に演奏を始めて次の曲へいってしまうDominguinhos。慌てて楽器を持って、焦って彼に続くメンバーたち。Dominguinhosの長い話に飽きてしまって、彼の話に茶々を入れたり反論したり、舞台をウロウロ動き回って他のメンバーにチョッカイを出す、これまた自由なメンバーのおじいちゃん。音楽を楽しむ以外にも、ツッコミどころ満載の、ビジュアルでも面白いライブだった。

5月9日(金)
研修後、大学へ。授業がいつのまにか学生の発表に変わっていた…(先々週、先生が「Lutasとメディアとの関係」について何かいろいろ言っていたけど、あれは発表についての説明だったのかぁ…。でもグループや発表の順番はいつ決めたんだろう??)。このあと学期の終わりまで、多分ずっと学生の発表が続くことになる。
発表では、日本のアニメや戦隊モノがたくさん出てきた(また、みんな、よく知っていた)。梶原一騎の「キックの鬼」(ポル語の字幕つき)というアニメを資料に使った学生もいて、観ていて面白かった。「アニメの中のLutasが与える影響」という内容で、イベントで撮影したというコスプレ写真を使って発表した学生もいた。授業のあと、Luiz Fernando先生に、「金太郎」のTakaさんが相撲の講演をしている話をしたらとても興味を持ってくれ、来週何かを“マルカール”しようと言われたけど、何度聞き直してもその意味が分からなかった。
帰り、前の学期で顔見知りになった子と一緒になり、4人でpastelを食べに行く。研修先などと違って大学では、私が外国人だからといって、例えばゆっくり話すとか、より分かりやすい言葉や表現に換えて話すというようなことをする人はほとんどいない。食べている間、めちゃめちゃ集中して聴き取ろうとしたけど、彼らの話している内容、言っていることはやっぱりほとんど分からなかった。ただそれでも、理解できる部分があったらすかさず会話に入るようにした。“笑っていてジュースを口から吹いた”という話題のあと、自分の小学生のころの話をした。給食で同級生の男の子に笑わされて、食べていたもの―忘れもしない、あれはかきたま汁だった―を吹いてしまい、先生がイカり狂って、なぜか私だけ罰で2週間、廊下で給食を食べた話(今だったら絶対問題になるだろう(笑))。すごく驚かれ、そのあとみんなで大笑いになった。
部屋に着いたらドッと疲れが出てすぐ寝てしまった。言葉が分からないストレスというのは今もかなり大きい。
| ycuio | 過去の日記 | 00:30 | comments(0) | - | -
ある日の日記から(4月・その2)
4月7日(月)
駅近くの建物の前で、よく犬と一緒に立っているおじさん。挨拶すると、いつもニッコリ笑ってくれる。今日は珍しく坂を上がってどこか行く様子だったので、どこへ行くのと質問した。なかなか答えてくれない。もう一度質問すると、手で口のあたりを指差して一生懸命何か言おうとしている。そのとき初めて、彼が話せない人だったと分かった。そのおじさんにはブラジルに来てすぐの頃から挨拶しているけど、一年近く経ってようやくそのことに気づくなんて…。ちょっとショックだった(“ショック”という表現も少し違うが、他に適当な表現が見つからない)。
もうすぐ一年が経つけれど、自分の近くにはまだまだ気がつかないこと、知らないことがいっぱいあるなと思った。

4月12日(土)
昨日の“ブラジルのコラソン”のことがまだ頭から離れない。友達に話そうとしたときに思わず泣きそうになってしまい、自分で驚いた。友達は「(私が)頑張って一生懸命やっていると思うよ」と言ったけど、心の中のモヤモヤや混乱は去らない。自分の研修が充実しているのかどうかなんて、今の時点では分からない。後で悔いが残らないよう、とにかく今は走って前に進むだけだ。もちろん自分でもそれなりに一生懸命やっているとは思っているけど、モヤモヤがあるということは、自分の中で何かひっかかりがあるのだと思う。夕方に行った音楽のイベントでは、(イベント自体イマイチだったこともあるけど)聴いていても何も感じられず、昨日のことが相当自分でもショックだったと分かった。

4月14日(月)
今日は研修先で泣いてしまった。先週言われたことをずっと気にしていて、それをお昼の時間に研修先で話していて。今まで心に溜め込んでいたいろんな感情が一気に吹き出てしまった。砂糖入りの水をもらって、最初はFláviaに、あとで研修先の周りを散歩しながらEriçaに話を聞いてもらった。そのあと声をかけてくれた人たちとも話をした。「あなたはある程度まではみんなと仲良くなるけど、その先は超えないなとは思っていた。でもここの事務所にいる子達とは年齢の差もあって、話す話題が違うということもあるだろうから、そういう意味では仕方ない部分もあるのよ」。そういう話も聞くことができた。研修先で話しただけでは、まだ気持ちがおさまらなかったのだと思う。研修を終えて大学へ行くまでの間、いろいろな場所で話をした。Tatuapé駅の売店のおじさんたちに、大学でHilda先生に。話すたびに涙があふれて、今日は人目を全く無視してとにかく泣いた。いつものみんなのやさしい顔を見てホッとしたのもあるかもしれない。
今までガマンしていた感情を吐き出したことは自分にとって意味のあることだったけど、ブラジルの人の考え方は本当にいろいろでそれに触れることができたこと、それを自分から知ろうとしたこともすごく価値があったと思う。今日はこれまでの研修生活の中で忘れられない一日になった。

4月15日(火)
自分の気持ちは昨日で何とか収拾がついたけど、いつまでもクヨクヨ悩んでいる自分を終わりにしたかった。昨日あった出来事、また金曜に言われたあとで自分が感じたことや考えたことを、その人のもとへ話しに行った。「あれはお前一人に向けて言ったものじゃない」――。自分がその方の言葉を少し敏感に受け止めただけなのだということが分かった。“背伸びをするな”というのは、物事には段階がある、そのステップを飛び越して何でもやろうとしてはダメ、という意味だった。私は、早く結果を出そうとするあまり、ときどき焦ってしまう(または無茶をする、もがく)ところがある。それと同じ内容だった。でもこのことがなければ、昨日のような素晴らしい体験はできなかったし、また今日こうやって伝えに行かなければ、せっかく言ってもらったアドバイスを間違って受け取ったままだったと思う。

4月16日(水)
朝、研修先でメールをチェックしたら、今回のことについて主人からメールが入っていた。「ブラジルは世界でも多種多様な国だよね。だから“自分の”やり方でいろいろ幅広く体験しようとしていることは決して間違っていないと思う」という内容だった。
現在の自分の研修は、いろんな人の支えの上に成り立っている。でも、自分のやっていること・これからやろうとしていることをこれだけ理解して(しかも文句も言わず)応援してくれる人がいてくれるから、私はいまブラジルで本当に楽しく良い経験をすることができているんだと思った。自分がここで生活している間に、できれば彼にもこのブラジルという国を知ってもらいたいと、今日は本当に心からそう思った。

4月18日(金)
Sao Joaquimのノルデスチ・レストランへ。通っているダンス学校のLiberdade校主催のForróのBaile(ダンスパーティー)。フロアもそれほど広くなかったのと、踊っている人も慣れていない人がほとんどだったので、踊っている間とにかくガンガンぶつかった(そして、体当たり戦で惨敗…)。最後、先生をしている人と踊ったときは、(上手な人だけに)人の間をぬって空いているスペースを探しながらグルグル何周もしたので。終わる頃には目が回ってヘロヘロだった。

4月19日(土)
先日知り合った同じ高校の大・大・大先輩の家田さんに飲みに連れて行ってもらう。行ったお店は、おととい偶然前を通ってちょっぴり気になっていた「金太郎」だった。家田さんの息子さんの話が出て(卒業した)体育学科の話題になり、私も体育学科でLutasの授業を聴講しているんですよと話すと、(お店の)Takaさんやお店を手伝っていた彼の恋人も話に加わった。聞くと、彼女は体育学部を卒業して今は障害のある子供たちにスポーツを教えているそう。「名前を聞いたことがある」と、私が聴講生として通っている大学のことも知っていた(児童教育に力を入れている学校なので)。ビックリしたのは、アマチュアで相撲をやっていて、世界大会にも何度か出場しているぐらい強い選手だったこと。Takaさんも近くの大学のFMUやUNINOVEでときどき相撲の講演をしているということだった。
大学のLutasの授業ではみんなかなり真剣に取り組んでいて、特に武道については熱心に先生に質問をしている学生も多い。また授業では相撲のことは全く出てこないので、学生はよく知らない。彼にちょっとした講義をしてもらったらいいだろうなと思った。次の授業で先生に話してみよう。

4月20日(日)
研修先へ。今日は時間もあるし、駅前から出ているVila Madalena行きのバスに乗って研修先の近くまで行ってみることにした。でもバスが一向に来ない。バス停を離れたあとですぐバスが来たらくやしいと思って、途中からは意地だけでずっと待っていた。けど、1時間待っても全然来なくて、結局Metrôで行った(時間の無駄だった…)。
夜は友達と2人で、SESC Vila Marianaへダンスのショーを観に行く。Antônio Nóbregaが主催するダンスで、このAntônio Nóbregaという人はブラジルではかなり有名な人らしい。ちょうど今週の「Rítimica」の授業で出てきたばかり。家へ帰ってからノートを確認したら名前があった。ノルデスチのフレーボやマラカトゥのリズムに合わせたちょっと変わったダンスのショー。音楽も楽しめて面白かった。

4月21日(月)
友達のうちへ遊びに行く。私はこれから仕事で外出するけど、今日は一日家にいてのんびり過ごしていいからね、と言われる(先々週、元気がなかったので心配してくれたようだ)。家にはお手伝いさん2人と私だけ。ソファに横になってテレビを観ていてもお昼ごはんはちゃんと出てくるし(それも何品も)、食器の準備も片付けも何もしなくていいし、コーヒーは飲みたいときにいつでも飲める。なんて素晴らしい生活! でも、何か落ち着かないような気持ちにもなった。たまにだからいいのだろうけど、これが毎日続いたらどうなるかな…。貧乏性の自分にはハイクラスの生活は合わないことが分かった(それもちょっと哀しい…)。でも、女性も外で男性と同じように仕事をしていたら、こういう家事をやってもらえると(少なくとも平日は)すごく助かるだろうなと思った。

4月22日(火)
ポルトガル語のレッスンに行く直前、急に大雨(夕立?)に。研修先を出るころに止む。駅に向かう下り坂で、きれいな虹が出た。ちょうど隣にいつもの犬のおじさんがいたので、虹が出ているよーと教えてあげた。

4月24日(木)
ボキャブラリーを増やすためには雑誌を読むといいからと、TatianaとFláviaが雑誌を3冊くれた。女性誌は読んだことがなかったけど、けっこう面白かった。最初「雑誌を読む時間がないよー」と言い訳しようとしたけど、これだったら寝る前の少しの時間で読むことができる。これまでに買った旅行や料理の雑誌(何冊か買ったけど、まだ読んでいない)も、これからは少しずつでも読んでいこうと思った。

4月25日(金)
昼前ぐらいから少し寒気が。前に風邪をひいたときには薬を飲んでも全く効かなかった(←ブラジルの強い薬なのに!)ので、今回は飲むのをやめたら、研修が終わったころには完全な風邪に変わってしまっていた。研修先を出るとき薬を飲んで大学へ。授業のあとは、クラスメイトと一緒に軽く食事(彼らは授業の休み時間)。すぐ帰ったほうがいいとは思ったけど、クラスの人たちと普段はこうしてゆっくり話ができる時間もないし、と考えて。そのあとBarでもビールを(コップ1杯だけ)飲んで、帰りはEmersonに、Belémの駅まで車で送ってもらった。

4月26日(土)
昨日いたのが吹きっさらしの店だったのが良くなかったのか、お酒を飲んだのが悪かったのか…。今日は体がつらくてベッドから全く起き上がれず。予約していた美容院にも行けなかった。

4月27日(日)
昨日と同様、一日寝込む。楽しみにしていたVirada Culturalには結局行けなかった。本当に残念!!!! 次はこの時期を狙って旅行で絶対来よう。

4月29日(火)
バスに乗っていて。手すりをちょっとだけ離した、ほんの一瞬に急ブレーキがかかって体がふらつき、前に座っていた人のところに体ごと倒れこんでしまった。またすぐにバスが急発車したので、今度は体が後ろへ。はずみでコブラドールのお兄ちゃんのひざの上に思いっきり座ってしまった。その一部始終を見ていた人にはクスクス笑われ、お兄ちゃんにも笑われて恥ずかしかった。
普段バスに乗っているときのように体に力が入っていないから、少し揺れただけで簡単に体がふらつく。バスを降りて、今日はやっぱり普通の体調じゃなかったなと思った。

4月30日(水)
「風邪のときぐらいレッスンは休みなさい」と前に言われたけど、今日もやっぱりダンスのレッスンに行ってしまった。無理しちゃダメと分かってはいても、ブラジルにいられる時間がだんだん少なくなっていると思うと、どうしても…。
最近、自分の考え方や見方がカウントダウンや帰国後を意識した視点に変わってきているのが分かって、それがちょっぴりさびしい。
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